未来にキスを 〜Kiss the Future〜
 某月某日・東京「九拾八式工房本部(元締宅)」。

梨瀬「次回担当タイトルは決まったの?」
後藤「うん、これなんだが…(ニヤリ)」
 そっと差し出す、本作のパッケージ。 
梨瀬「…よ、よりによって、コレ?! どういう心境の変化だよ?!」
後藤「うん。見てみろよこのパッケの売り文句と絵を。“ボク”で“お兄ちゃん”で“髪や制服の配色がアレ”でさらに“奴隷”だ。俺がやらなきゃ、誰がやる?」
梨瀬「って、何もこんな前のタイトルやらなくても…(ニヤリ)」
後藤「以降、このタイトルはコードネーム“パチュラル〜絵も中身も〜”で決定ぢゃ! 早速飛脚を走らせい
梨瀬「知らねーぞ、どうなっても(ニヤリ)」

 この時の梨瀬の「ニヤリ」が、後にとんでもない真実を表していた事を、後藤は思い知らされる。
 
 教訓: ワゴンセール行きには、それなりの訳がある (涙)
 悪いけど今回は心を鬼にして、過去最大の“毒舌”で行くよ。


1.メーカー名:otherwise
2.ジャンル:ADV
3.ストーリー完成度:E(久々に迷いなし)
4.H度:E
5.オススメ度:Z。つーか、ゲームを楽しみたいなら購入価値皆無
6.攻略難易度:ちょっと分岐がわかりにくいが、とりあえずD
7.その他:(筆者が)過去プレイした全タイトルの全キャラクター中、最低最悪のヒロイン登場!!


(ストーリー)
 主人公・笹本康介(変更可)は、両親の一方的な都合のために、従妹であり妹分である飛鳥井霞の家に半年前から居候していた。
 そんなある日、結婚記念に2週間もの長期旅行に出かける事にした叔父と叔母(霞の両親)は、康介と霞二人きりの留守番を頼み、家を空けてしまった。
 同い年なのに“お兄ちゃん”と呼び、その上やたらと手のかかる霞に振り回されながらも、それなりに平和な時が流れていく…筈だった。
 二人きりになった初めての晩、霞は、康介にそっとこんなお願いをした。

 “お兄ちゃん…ボクを、奴隷にして?”


 いきなりだが。
 絵はいい。
 線そのものがやたらと少ない上に汚く、粗の目立つものをよくもまあここまで仕上げたものだと言いたくなるCG彩色技術や、背景写真を取りこみ、そこから主線取り→彩色したと考えられる背景美術の見事さ(一見単純に見えるが)なんかは、同じくCG描きの修練に明け暮れる筆者としては大変勉強になるものだった。これは間違いない売りだ。
 ヒロイン達の髪の毛の塗りなんかは、行程を考えると涙すら浮かんでくる。特に悠歌のそれなんか脅威のレベルだ。
 さぞや…さぞや苦労された事だろう。
 もちろん、この場合異常に多い髪の量についてはあえて触れない(笑)。
 ただし、キャラクターそのものの絵の質はかなり悪い事はちゃんと記しておかなくてはなるまい。
 止め絵や基本の立ち絵は良いのだが、表情が切り変わった途端に“別人の顔”になってしまうのはかなりイタイ。
 特に霞は、普段の顔の上に人面疽が湧いたのでは…と思わせるくらいだ
 止め絵にしても、出来はともかくとして場面ごとに全然別人になっているからなあ。
 これ、ホントにみさくらなんこつが描いたものなの? と疑ってしまいたくなる程なんだよね。
 
 音楽も、これはこれでなかなか味わい深い。
 特徴的な曲は少ないものの、ジャズ風なピアノを曲の中に交えてみたり、感情に訴えかけるようなピアノソロの悲しみのテーマなんかは、なかなかの逸品だ。
 主題歌にしても、歌詞はともかく曲の頑張りは大変評価できる。…って、失礼。I'veだったのか(^^;

 システムも、シンプルな割に使いやすく結構ありがたい。
 セーブポイントも最初は数が足りないように感じたが、思いっきり余ってしまったからこの規模に対しては充分なものなのだろう。
 バグと思われる現象にもまったくお目にかかる事はなかったので、この辺は素直に賞賛したい。


 …さて、誉める所は誉めた。実際、掛け値無しで誉められる部分はここまでだ。
 さあ、ここから先は覚悟しろ〜っ!! …って、あれ、なんかこのフレーズ随分前にも使用したような気がするなぁ。
(※編注:94年発行同人誌「九拾八式」に掲載された『ア・ラ・ベ・ス・ク(フェアリーテール)』に使用されてました)

 残念ながら、ここからは本気で誉められる部分はない。
 どれを取っても、感心できないものばかりで構築されていると言ってもいい。
 弁護の余地もないというか…まあ、それはおいおい説明していきたい。
 何はともあれ、これら良い点をすべて無駄にしてしまうかのようなあまりにむごい内容は、どうにかならなかったものだろうか?


 「未来にキスを」のストーリーを見た人のほとんどが、「ああなるほど、これはいわゆる妹調教モノなのね」と素直に考えるだろう。
 だが、それは激しく違う。
 実はこのゲーム、こんなプロローグでありながらも一応“純愛系恋愛ADV”なのである。
 ストーリーの項で説明されたシチュエーションは前半でほぼ完全に消失し、別ヒロインのシナリオに移行した段階で100%忘れられる。
 つまり、上記のようなジャンルを求めて購入した人は、思いっきり裏切られるという事だ。

 どういう事か。
 ちょっと流れを簡単に説明しよう。
 メインヒロイン・霞の告白によって、主人公は戸惑いつつも霞と関係を持つ。
 そしてその後、他の家族がいないのをいい事に毎晩関係を重ねていく。
 ゲーム期間の2週間のうち、主に前半1週間の間に選んだ選択肢でシナリオの切換が行われ、残り一週間はただひたすらマウスクリックに明け暮れる事になるが、この間、プレイヤーはヒロインの思想とか主人公のどーでもいい主張(ほとんど独り言)をひたすら聞かされ。
 最後は、実に不条理な理論にねじ伏せられた、よくわからない終わり方をする。
 これを4回繰り返した後に、さらに追加シナリオ「Genesis」をやらされる。
 おおまかにこんな感じだ。

 イントロダクションで提示された「奴隷」という単語に惑わされてしまいがちだが、これはヒロイン・霞が勝手に言っているだけであり、途中で思い出したように「ご主人様」なんて単語も出てはくるが、別にSMするわけでもなければ得体の知れない器具の数々が登場するわけでもない。
 ただ、自宅や学校内で突然Hをかますだけ。しかも主導権は奴隷の筈の霞にあり、主人公からそういう話を持ち出す事はほとんど皆無。
 ヒロインの突発的欲情に対して主人公は一切選択権が与えられない
 そして、奴隷という言葉は事実上ほとんど機能していない。

 これは、かなりまずい。
 基本コンセプトについて、大嘘をかましているようなものだからだ。
 勘違いのないように念を押すが、確かに、本編中このゲームの総合ジャンルを定めるような要素や雰囲気は提示されてはいない。
 しかし、本作の商品告知・販売宣伝などを眺めてみると、明らかにこの部分を狙っている。
 さらにたちが悪いことに、この「実は違うジャンルでした」というオチは、まったく効果的に機能していない。
 一見純愛物っほぺく見えて実は陵辱とか、その逆というのとは根本的に違う。
 むしろ「RPGだと書いてあったから購入してみたら、シューティングだった(わかる人だけ笑って)」ようなものに近いだろう。

 さらに、シナリオの質が悪い。
 これは、面白い・面白くないという問題ではない。
 本作のシナリオには何か特殊な“個人思想”みたいなものがにじみ出ており、それが異常なほどに作品世界観を侵食しているのだ。
 後に触れるが、この問題点を追求すると、どうしてもシナリオライター個人の思想批判的な内容にならざるをえない。
 とにかくここでは、「悲劇や残酷な話でもないのに、とんでもなく後味が悪い」という一種異様な物語だという事だけ、留めておいていただきたい。

 さらにさらに、あまりに異質な人格を持っている登場人物達。
 このゲームに、まともな精神構造を持っているキャラクターは一人も存在しない
 主人公に(処女なのにも関わらず)いきなり“奴隷”志願する上、主人公と同い年とは思えない程知恵遅れの霞。
 一見良識派、実は最悪の自己中心主義&異端思想の持ち主で、主人公と霞を翻弄する柚木式子。
 パッと見キャピキャピ、実は思慮深さと深いジレンマを持…っているように描くつもりで大失敗し、単なる変人と化している守里椎奈。
 のほほんとした態度の裏に、深い悲しみを…抱えているように見えて実は単なる究極のワガママ娘だった神澤悠歌…。
 攻略対象のヒロインは皆、プレイヤーの感情移入を激しく損なうような奴等ばかりである。
 しかも、普通ならば“最初はとっつきが悪いが、少しずつ打ち解けていく”という流れを以ってキャラへの思い入れを育むようにするのがこのテのゲームのセオリーだが、本作はこれを逆に辿り、第一印象が良かったキャラにどんどん悪印象を植え付けていくのだ。
 特に式子などは、比較的まともな描写から入ってそこそこ気に入られやすいスタンスだったにも関わらず、最後には殺意すら抱きかねないくらいの自己中心的立ち回りを演じ、プレイヤーの神経を逆撫でする。
 少なくとも、すっきりさわやか、明るい気分でゲームを終わらせたり、深い達成感を味わったり、複雑で深いシナリオに思いをはせるような事には絶対にならない。
 …いや、本来こういう感覚面で断言はしたくないが、本作だけは例外だと言いきってもいい
 とにかく筆者は、このゲームが終わってしばらくは、煮えくり返った気持ちを抑えるのに必死だった。
 久しぶりに酒の力を借りたゲームだったという事だ。

 …で、それ以外のシナリオやその間に配置されたシナリオ、システム面でのメリットに目を見張るものはまるでない。
 無難といえば無難だが、どうしてここまで起伏のない話を展開していけるのか、シナリオライターやクリエイターを問い詰めたい気分だ。
 
 筆者的には久しぶりな、ヒロイン別批評に行ってみよう。

 
◆飛鳥井霞
 彼女が主人公を好きだというきっかけについてはともかく、「好き」である事イコール「奴隷になりたい」という連想に繋がる経緯がまったく伝わってこない。
 それどころか、描く事自体を放棄され、そのままになってしまったかのような印象すらある。
 以前誰かに調教を受けていた経験があるとか、過剰に偏った耳年増からヘンな方向に興味を抱いて…というのとも違い、そもそものコンセプトをゆるがしてしまっている。
 また、近年流行りの“実年齢に反比例するかのように幼い精神構造”パターンを踏襲しているかのようだが、どう見てもただの知恵遅れにしか思えず、可愛いと思うよりも「気味が悪い」としか感じられない。
 ぬいぐるみやピコピコハンマーに名前をつけるだけではなく、「ボクいい子だもん」「バカじゃないもーん」の連発は、寒気すら感じる。
 その割に、めったやたらと発情する部分だけはいかにもお約束を守りましたといわんがばかりで、大変困ってしまう。

 で、本シナリオがスタッフの間で“パチュラル”なるコードネームで呼称されていた要因でもある。
 「ボク」という個人称、どこかで見たような、髪と制服のカラーリングの組み合わせ、毎晩定期的に発生する(未遂含む)Hイベント、一日に2回と定められているチャレンジ回数(笑)、場面によってすさまじい変化を見せる体型、エンディングの登校前にちらりと見せる指輪
 アッチの方をプレイした事のある人は、思い出して是非比較してみて欲しい。
 その他、サブヒロインの配置やカラーリング、位置付けまで共通しているんだから始末が悪い。
 安易に「パクり」と言う気はないが…単に企画段階で提示されたシチュエーションが「Natural」っぽいテイストのもので、シナリオライターがそれを良しとしなかった結果、あんな事になってしまった…かのようにすら感じる。
 あ、これはもちろん勝手な想像なんで。

 色々文句は出るものの、実はシナリオ面でも人格描写的にも、霞編は一番まともなエピソードだったと言っていい。
 霞自身があまり物事を深く考えないタイプなのが幸いし、他のヒロインシナリオのような無残な結果に結びつかないのだ。
 だから、全部終わってから振りかえってみると、不気味なくらいによくまとまっている事に気付かされる。
 事実、終盤の「全員でトランプ」イベントは、大変微笑ましいものがあって素直に楽しめた。
 名シナリオ…には程遠いが、及第点にはギリギリ達しているかな、とも感じさせる(感覚が鈍っていただけという説もあるが)。

 …が、せっかくそこそこまとまっていた結末は、よりによって最終追加シナリオ「Genesis」でブチ壊しにされる。
 このゲームの場合のハッピーエンドは、一般人がそう感じるものとは大きな隔たりがある。
 ものすごく幸せそうな雰囲気から、一気にダウナーな気分に叩き落される“ハッピーエンド”なんてものは、そうなかなか見れるものではない。
 
 霞のシナリオでとかく不思議なのが、「支配」という概念だ。
 どうも、“支配”する・されるという事が彼女にとって重要であるらしく、それは100%相手の事を理解するという意味だという。
 すなわち世間で用いられる意味とはまるで違うのだが、それはとりあえず置いておこう。
 現実的に100%の事を成すのは不可能だという事は誰もがわかるが、なぜか霞はこれが完璧じゃないとお気に召さないらしく、そうならないのであれば、それはいずれ「悲しみを生む」事になるという妄想に駆られている(で、もちろん本編内では誰も妄想だと指摘しない)。
 だから…と、今のうちに別れた時の悲しみに慣れておくとほざき、主人公から距離を置くようになる。
 …この思考を完全に理解できる人間は、この世の中に何人いるだろうか?

 どーでもいいツッコミとしては、主人公の「ご飯なんて、誰が炊いても同じだろう」発言や、料理の素人にスクランブルエッグの焼き方をレクチャーするシーンがある。
 あの…料理について詳しそうに書くのはいいけれど、普通はこんな発言絶対出てこないものなんだけどな。
 経験も知識もない事丸出しなんですけど…。
 自動炊飯器でも、米のとぎ方と排水方法、水の注ぎ方で味はまるで変化する。
 とぎ方そのものは人それぞれなのでここではあえて触れないが(ホントは米が破損しやすいので、ザルの使用はお奨めできない)、これは結構な問題発言だろう。
 一番最初のとぎ水の流し方が不充分なだけでも、味って全然変わるんだけどね。
 ちなみに筆者は十数年とぎ方・炊き方を研究したが、最初の頃は思ったようにうまく炊けなくて、悔しい思いをした事が何度もある。
 それに、今も究極きわめたなんて絶対思っていない。それくらいのものなのに、その一言はあまりにひどすぎる。
 卵の焼き方そのものについてはまあいいが、それなりに知識を出すつもりなら、味付けに醤油を用いるなんて事はしない方がいい。
 味の好みの問題ではなく、ただけでさえ焦げやすい卵に、さらに焦げやすい醤油を混ぜたらどうなるか…素人には焼けないぞ。
 もっとも、混ぜる前の卵のボウルに醤油が大量に注がれてしまうというトラブル解決に、さらに大量に卵を投入して対応するような展開を書いてしまう程だから…なぁ。
 つーか、料理した事ないんじゃないか…ホントは。
 牛乳やホイップした生クリームを混ぜるって方法もあるんだけど。
 

◆柚木式子
 史上最悪のヒロインとは、まさに彼女のためにある言葉だ。
 とにかく、このゲームをプレイする事で彼女に僅かな嫌悪感も感じなかったという人がいたなら、ある意味すごいと思われる。
 しかも、これは「表現力の無さから生じた、本来求められていたものとは違うキャラクター像」というわけではない。
 明らかにシナリオライターによって作りこまれた結果の、忌むべき存在だ。

 霞との関係が最高の状態の時に、深酒の勢いで主人公と関係を持ち、その後学校に呼び出して告白し、毎日部室に主人公を連れこんではHを強要し、最後には「こんなの本当の自分ではない」とほざいて、主人公を振る。
 …しかも、それは「今までの関係をやめる」だけであり、したくなったらその都度求める事はいとわないという“式子にとってのみ都合の良い関係”でいたいという申し出だ。
 こんなのに振り回される主人公も主人公だが、あげくにエンドロールに浮かび上がる文字は「永遠に続く、幸福の詩がそこにある」…

 一つ、聞きたい。
 人の関係色々あれど、相手の都合も考えずにその場の突発的な気分で相手に関係をせまり、自分にその気がなかったらそんな事は匂わせもせず、“恋人ではないけれど関係はある”という中途半端なものを、世間では何と称するだろう?
 それってただの「セックス・フレンド」という言葉で収束する程度のものだが?
 それならそれで、最初からそういう方向に物語を進めればいいだけの話だ。
 何もシナリオ一本丸々使用して「セックスフレンドができるまで」をやらなくったっていいだろう。
 ADVのヒロイン別シナリオの結末が、必ずしも相手と結ばれるべきである…などという甘ったるい事を言う気はないが、それまで散々(聞きもしないのに)勝手な恋愛感を毎日畳み掛けるようにしゃべくりまくり、自分の心の動揺を打ち明けてきた者が、何のイベントも事件も経由することなくこんな結論を導き出す事に、いったい何の意味があるのか?
 そもそも、式子との関係は「自分を強烈に求めている存在・霞」を強引に振り切った果てのものだった事を、忘れてはいまいか。
 こんな展開を考察してみるに、式子は当然だとしても、主人公にも“相手の事を考えて思いやる”という気持ち…もとい、概念が根本的に欠如していることがわかる。
 テキストで触れられているそういった気持ちのようなものは、建前的なものでしかない事に気付かされる。なにせ、式子との最後の会話では相手への妥協はあるものの、霞や式子そのものへの思いやりに分類されるものはまったく出てこない。
 相手の都合を無理矢理自分に刷り込んでいるだけだ。

 さらに輪をかけて、式子は椎奈編・悠歌編でも「もし(主人公が)部室でのHを拒否したら、別れよう」などというとんでもない事を言い始め、プレイヤーの逆鱗に触れまくる。
 それだけではない。
 “Genesis”では、一度主人公にはっきり拒絶されたにも関わらず、「そういう気持ちになったんだから仕方ないじゃない」とほざきつつ、街中…しかも霞の目の前で濃厚なキスを強行する。
 その上で、さらなる主人公の拒絶にも開き直る式子…ああ、思い出しただけでも殺意がこみ上げてくる!!!
 リレーションコントロールという言葉の意味を完全に誤解した言動は、もはや笑いすら浮かばず硬直するだけだ。

 結局、式子という存在にはどういう意味があったのだろうか?
 これはちょっとした極論だが、筆者は、途中から本作のメインヒロインは霞から式子にシフトしていたのではないかな、と思っている。
 本作の本当のテーマは、恋愛ではなく「シナリオライターの思想論の提示」にある。
 それを施行するには、知恵遅れ的存在の霞では役に立たず、ある程度しっかりした論旨を組み立てて語れるステイタスキャラクターが必要になってくる。
 となると、ターゲットになるのはもっとも知性派である式子になる。
 そしてその瞬間から、式子の唱える言葉はシナリオライターの代返的なものに統一され、行動はその証明となる。
 もちろん、これは式子に対する個人的反感から生まれた推察ではない。
 式子自身の描写に限らず、本作の各登場人物全体が唱える言葉には、どこかしらそういう部分が見え隠れしているのだが、もっとも色濃く出ているのが(メインシナリオ内での)式子の言動だ。
 では、なぜそんなテーマにシフトチェンジする必要があったのか…これは、総括にてまとめてみたい。
 
 ちなみに、本作は面白い事に霞のシナリオから各ヒロインシナリオに分岐する形ではなく、霞から一度式子編に移行し、そこを中心として各ヒロインごとの展開に分かれていく構成になっている。
 言い換えれば、式子編の各分岐点できっちりセーブが行われてさえいれば、それの再利用で的確に椎奈編にも悠歌編にシフトできるという事だ。
 これは…考えすぎだろうか?
 まるでこれでは、霞シナリオを完成させて式子シナリオの製作に入った段階から、ゲーム全体の路線を変更してしまったかのようにも映る。
 もちろん現実にどうかはわからないし、わかった所でどうしようもないのだが…

 最後になるが、本編内でも主人公に「まるで詩のようだ」と表現される式子のセリフは、本当にうざい。
 エンディング間際の「これっきりにしよう」発言を主人公に伝えるシーンに至るまで、出会いの場面から一時間近くもかかる。
 これは筆者の読むスピードも関係するが、とにかく、それまで全然本題とは関係ない「どーでもいい事」を語り続ける。
 まさしく、テキストの無駄遣い。
 これだけで、このゲームの苦痛度は上昇し、お奨め度は急降下するのである(爆笑)。



◆守里椎奈
 電波少女第一号。
 永久機関的なものに憧れ、その延長として主人公宅(ホントは霞の実家)にある“ししおどし”に異様な執着を見せる。
 霞並に幼い言動と、だれにもついていけない発想と連想・行動力を併せ持ち、突如として意味不明な論旨を振りかざし、無理矢理それっぽくプレイヤーの思考をかき乱す。
 だが、彼女が主張する事には何の説得力もなく、彼女と…否、彼女をシナリオ上で創造した人物の発想に完全同意できなければ納得も理解も出来ないものばかり。
 結果として、主人公と肉体関係ができました…と、ただそれだけの既成事実が成立するだけで終了してしまうという、ものすごいシナリオだ。
 これをクリアした段階で、プレイヤー各氏にも「すでにシナリオライターは、面白い物語を描こうという姿勢を完全に放棄している」事になんとなく気が付くだろう。

 そういえば、このシナリオもつまらない所でツッコミ所満載だなあ。
 あんな大型の河川のワンドで、バケツや洗面器がいっぱいになるほどタニシが取れるわけがないし、自宅の池にタニシがいたなんて報告も話も聞いた事がない(カワニナなどの似た生物をひっくるめても、である)。
 でもまあ、色々な部分で完璧を目指すからには、ここは純粋なタニシだけを指しているものとして解釈しておこう。
 普通は水田や農業用水池、池沼なんかにいるものなんだけど…もっとちゃんと調べてから用いましょう。
 さらに、「マッシュルームが無味無臭」なんて恥ずかしい表現も、なんとかしていただきたい。
 単体で食べても十分な風味と味わいがありますが?

 ついでに。
 椎奈と霞の会話にやたらと「馬鹿」「駄目な子」という単語が出てきてしつこく繰り返されるが、まるで相手にそう刷り込ませるかのような強引さ・しつこさを感じてしまうのは、狙ってやっている事なんですかー?
 昔から「馬鹿っていう奴の方が馬鹿」ってのがありますが、まさにそれを地で行ってる展開なんだけど…
 馬鹿馬鹿はいいとしても、あまりのボキャブラリーの貧困さに、思わず涙がちょちょ切れる。

 ホント、このシナリオライター…あまりに物を知らなさすぎるよ…だんだん心配になってきた…。


 椎奈は、外面は霞に近いが実際は式子に近い存在で、結局は式子編で唱えきれなかった「論旨」を代返するだけに過ぎない。
 奇妙な理論武装については式子に準ずるので割愛するが、彼女の論旨には「檻」という概念…ジレンマがある。
 要は“家族”というカテゴリが人間を“支配(またかよ)”してしまう「檻」に過ぎず、所詮は別の人間なのだから、そんなものでくくってしまう事はおかしい、という思考に捕らわれている様なのだ。

 ほぉ。
 家族が…檻? 

 可哀相に。これはまた、ずいぶんと偏りのある家庭生活を経験されてきたと見える。
 つまりこれは、家族という物の中で自身を確立させる事が出来なかった者・あきらめた者・試みる度胸すら得られなかった者が、保身のために組み立てる勝手な言い訳にすぎないとしか解釈できないが?
 まあ、あげくにはこのむちゃくちゃな理論を認めてしまう主人公&椎奈の母親(実は姉…って、おい!)も、言うまでもなくどうかしている。
 自身は椎奈のようなジレンマを抱えている訳ではないのに、なぜか椎奈サイドに考えを切り替え、それを認めようと(無駄な)努力をする。
 第一、家族やその上にさらに位置する支配力(式子が称する“システム”)に対しては何の抵抗力も持てない事を理解しているくせに、なぜか同様の位置づけにいる筈の主人公だけは「特別な存在・自由」という事になってしまっている。
 …あの、実の親と離れて生活しているだけなんですけど、それだけで“特別な存在”になってしまうんですか?
 
 このシナリオをやっていて全体的に見えてくる事は、「相手の事を思いやる気持ちを持った奴は誰もいない」という事実の再認識だ。
 式子の件は先の通りで、さらには、霞が近くにいるというのにそこまでのすべての出来事…情事を含む…を椎奈に話す主人公に、30分以内に返らなければならない主人公を数カ所に渡って引っ張り回し、あげくに一時間もオーバーさせる椎奈。
 さらには、ウェディングドレスを見て「こんなものを身に着けたがる気持ちが理解できない」旨の発言…
 
 あのさ。
 自分自身でそう思うのは勝手だが、それにたまらない憧れを感じる人の気持ちへの歩みよりが、なぜに出てこない?

 他にも、テレビで流れている番組に登場する漫才師のボケ役に対して余計な心情考察をしたり(しかも毎回)もしているが、どうもこれ、真剣に突っ込んでいるっぽい。
 あの…ボケとツッコミのやりとりって、それぞれの漫才師が事前に綿密な打ち合わせを行った末に演っている事なんですけど。
 どうも、シナリオライターはこれを真剣にわかっていないっぽい風潮がある。
   
 自分の選択によっては、思わぬ所で相手を激しく傷つけてしまうだろう可能性にまったく気付かない人間。
 自分の価値観・世界観が絶対であり、それに周りが従う事が当然と勘違いしている人間。
 そしてまた、それらをさも常識であるかのように吹聴する人間。
 …そんなのが考える話が、こんなシナリオだという事だ。
 なんかやたらときつい言い方ばかりになってしまうが、このシナリオをクリアするにあたり、本当にこれ以外の言葉が出てこない。

 で、永久機関と「檻からの脱出」願望って、いったいなんの繋がりがあるんよ。
 ひょっとして、これでうまく繋げたつもり? こういうのは全然繋がっているとは言わないんよ。


◆神澤悠歌
 天然ボケ系の先輩…という路線に基づいて設定されたとおぼしき少女。
 なんとなく精神感応能力を持っているらしいが、それによって相手の気持ちを理解してしまう事に激しい拒絶感を抱いている。
 …と、こう書くと一見まともそうだが、全然そんな事はない。
 つまり「結局別な人間同士なんだから、相手の気持ちが少しでもわかってしまうなんて絶対おかしい。私は、相手の事なんか全然理解したくない。そうすれば相手の事が全然わからないから、ドキドキときめく事ができる」…という、これまた立派な電波発信源になっている。
 
 …お〜い、勘弁してくれよぉ。
 
 どうも悠歌は、霞が100%完全に相手を支配したいという妄想に駆られているように、100%相手への理解を拒絶したいらしい。
 そこには、わずかゼロコンマ数%たりとも妥協は許さないらしい。
 すでに常人の感覚ではない事は明白だが、始末に負えないことに、彼女のこの発想はこのゲームが最終的にたどり着く結論そのものだったりする。

 「相手との間に壁があるけど、これを乗り越えてしまったら、自分も相手も一つに…1人の人間になってしまう。それは嫌。だから、壁の内側にいる相手…つまり、自分の心の中にいる相手をずっと思っていればいい」
「そうすれば、未来はバラ色」
…になるらしい。
 悠歌の発想は「わかりあえるくらいなら、人間はこの世に1人きりでいい」という発想だ。
 こういう発想にたどり着くタイプの人間が、どういう状態なのかを一応理解しているつもりであるが、ここではあえて触れないでおく。
 とにかく、悠歌とのあまりに唐突な“神社で口奉仕”が行われた後からシナリオはまた大幅な脱線に至り、論旨合戦になる。
 こんな電波発想を無理矢理理解しようとする主人公もご苦労な事だが、すでに悠歌はプレイヤーに理解される存在となる事を完全に放棄してしまっている。

 …はて。
 いいんだろうか? こんな事で?

 つーか、仮にも「何人かのヒロインと知り合い、恋愛を展開していく」という流れを期待していただろうプレイヤーへの裏切りは、他のヒロインシナリオ内の論旨合戦によって完全に崩壊してしまっているのだが、そこに至って、こんなキャラクターがいる意味はあるのだろうか?
 シナリオライターの思惑はともかく、あくまで本作を一つのゲーム商品として考えた場合、これはすでに危険な領域に達しているのだ。

 このゲームに対する苦情があまりに多かった(らしい)という話にも、納得できるというものだ。


◆追加シナリオ“Genesis”
 ヒロインではないけど(笑)。
 4人のエンディングを見ると展開する後日談で、一切の選択肢がない垂れ流しシナリオだが、飛鳥井慧子なる新キャラクターが突如登場したり、せっかくハッピーエンドを迎えた霞にみんながよってたかって例の「論旨」を植え付け、さらにヘンな子にしてしまうというすごい話だ。
 これだけ苦痛に満ち満ちたオマケシナリオを、筆者はこれまで体験した事がない。
 これをやっていくと、霞編が全体の中で一番最初に作られ(あるいは、もっとも当初予定されていたコンセプトに忠実に製作され)、それを不本意としたスタッフが無理矢理本来の路線に修正をブチかましたものだという事が推察できる。
 いわば、4大ヒロインの中で最後までポジティブで前向きな思想を持っている霞がそのままの状態でいると、都合が悪いのだろう。
 だから、最後に他の3人と同じ色に染め上げられてしまう。
 そう考えると、すごく納得のいく話になってしまうから不思議だ。

 このシナリオでは、各ヒロインがこれまでに述べてきた論旨を“頼みもしないのに”再び繰り返し、くどさを増していく。
 そして、いつの間にかプレイヤー視点に割り込んできた霞もこの精神的調教(おやおや)を受ける。
 …あげくの発言が、「自分の中のお兄ちゃんだけみていればいい」「本物のお兄ちゃんを追う必要はない」「何もしないでいい」「それで、未来は幸福だ」というもの…
 うわっ…き、気持ち悪い…
 言っとくが、すべてホントにエンディングロールで出てくるメッセージだ。
 こうして、すべての人間の理解から遊離して、本編は幕を閉じていく。
 

 だが、ファイナルエンドロールに、一つ奇妙な記述を発見。
 …もしや、これらって意図的なものだったのか?


(総評)
 本作を語るにあたって、どうしてもシナリオライター自身への不満や文句が集中してしまうようだ。
 当然だろう。
 これだけ全体に渡って、常人に不可解な論旨を展開しまくったのだ。プレイヤーへの娯楽を完全排除したとしか考えられない姿勢に、多少なりとも疑問を感じたプレイヤーは多い筈だ。
 なので、本来あまり良い事ではないが、このシナリオライター自身の(本作製作にあたっての)思考と方針を推察してみた。

 シナリオライターの元長柾木氏は、過去に『フロレアール』『Sense Off』『籠絡の館』などのシナリオを担当し、その哲学的な内容から一目置かれていたらしいが…本作をプレイする限りでは、氏の哲学的骨子は「知らない人間にそれっぽく映るだけのなんちゃって哲学」としか解釈できない。
 “哲学風”の表現をベールに包み、自分の不満や主張をただ垂れ流すのが、どうしてそういう評価に繋がるものなのか…理解に苦しむが、とりあえずそれは流していこう。
 
 本作は、一部の情報だと舞台が現代ではなく、十数年前だという事だ。
 また、登場人物には実在のモデルがいて、生活人の思考回路を持った“ごく普通の”キャラクターとして描いているとの事だ。
 つまり、ライターにとってはそういう設定を施すだけの理由があり、本編にそれが色濃く反映されているという事なのだろう。

 …なんのために?
 本作の最大の問題は、まさにそこなのだ。


 各ヒロイン達が唱えている主張をよく考えてみれば、それはすべて「逆境に対する“逃げ”の気持ちの正当化」の域を出ていない。
 つまり臆病者が、精神的なダメージを受けないようにと惨めな防衛手段を自身の中に構築して、それが他人に迷惑をかけるきっかけになっている事にすら気付かない状態に陥っているというものだ。“殻にこもる”と表現してもいい。

 相手を完全に「支配」しなければ、理解しえなかった部分から何かしらのトラブルが発生する事を危惧し、最悪の事態を妄想して“悲しみへの耐性”を付けようともがきあがく霞。
 愛する人間と関わる事により、自分自身が変わっていく事に対しての畏怖と拒絶、勇気のなさを棚に上げ、元の状態に戻ろうとする事で本来のステイタスを取り戻そうと悪あがきする式子(Genesisでのアレは悪あがき以外の何者でもない)。
 自分自身を成長させ、進化させていくという事への理解をせず、現状維持という位置付けに甘んじたまま、自分勝手な未来への希望を妄想する椎奈。
 他人とわかりあうという事が、自身の中で勝手に構築した“夢想”とのギャップを自覚させる事だと考え、何の価値もない自分のプロパティを防御せんと「壁」を構築し、そのほころびた穴から一方的な欲望だけをはき出さんとする悠歌…
 
 結局、ご立派に書き込んできたキャラクター達の主張など、この程度のシロモノに過ぎない。
 弱者の美学など、どんなに積み重ねても何の力にもならない現実を知れ! と、声高に主張したい気分ではある。
 結局、こんなエロゲーの中でこんな論旨振り回されても困る訳だし、仮にやるにしてもやり方を考え、ゲーム全体のバランスやジャンルに沿った“らしい”スタイルに変更してわかりやすくしていく必要があるはずだ。
 本来は…だが。本作は、それをすべて放棄すると、こうなるといういい例だったのかもしれない。

 本来提示されていたジャンル(奴隷・妹的キャラとの恋愛etc)の露骨な拒絶と方向性の強制変更、そして途中からのヒロイン別議論大会と、あまりに閉鎖的思考にまとまる終結…

 筆者にはもっと単純に、これらは「シナリオライターの“挑発”」にしか感じられないのだ。

 「未来にキスを」というゲームは、その表面的なシチュエーションだけならそれなりの注目を得るだろうし、絵もそれなりに目を引くものだ。
 だが、そんな“餌”に釣られてきた消費者に対して叩きつけられるこの内容は、まるで“はなっから理解できねーだろ、どーせ”と言われているかのようですらある。
 エロで釣った相手に説教をかましつつ、じわじわと方向性を切り替え、腹の底であざ笑っているかのような臭いと言ってもいい。
 だがその内容…論旨も、よーく解釈してみると「エロゲーをやっている」人に対して世間が抱く内向オタク的イメージを助長、あるいは余計な擁護をするようなものばかりだ。
 もちろん、この場合の擁護は言葉通りの意味ではない。
 ゲームばかりやっていて、世間とも距離を置き、自分の中の理想や妄想・盲執にだけ熱中している、社会適応力皆無の存在。
 世間の抱くエロゲーオタクのイメージなんてそんなものだ。
 そんな姿に対して

「貴方達はそのままでいいんだよぉ、どうせもう普通の人間とはいえない存在なんだから。
 いわば新人類?
 だったらいいじゃん、そのまんま妄想に浸ってれば。そうすりゃ、貴方はずっと幸福なんだし。
 それがいいじゃん♪」

 …と言っているかのような論旨。

 “Genesis”のエンドロールのメッセージや、悠歌の霞に対する言葉なんか、所詮はこの程度の意味しか発揮しない。
 現実の思想までは知る由もないが、こういう解釈も出来てしまうというのは、ある意味とんでもない事だ。
 もしもこれらが意図的なものだとしたなら、そこに至るまでに各ヒロインが唱えていた“極端に一方的な考え方”もわかる。
 すべてが“協調性”というものに背を向けるものばかりだ。
 そして、ヒロイン達が最初からそういう事を唱える存在だとして設定されたというなら、益々確信犯的なシルエットが浮かび上がるように感じるのだ。

 まあ、いい。
 しかし、果たしてそんな事が出来るだけの技量が、このシナリオライターにあっただろうか?
 結論は「十年早い」としか言いようがない。

 言いたい事を並べ立てるだけの作文は、シナリオじゃない。
 そこに自身の思想が溶け込んでいるとするのは結構なのだが、それははたから見れば“意味不明な駄文”に過ぎない。
 どんなにキャラクターの言葉を複雑にさせてもその内容の薄さはごまかせないし、意図したと思われる“インテリジェントな雰囲気”はまったく見えてこない。
 複雑な思想が根底にある事と、研ぎ澄まされた思考の主張が散りばめられているというのは、イコールではないのだ。
 後者を目指して作られただろう本作は、理解者を得られなかったという時点で“目論見”は潰えており、それは単なる“失敗”の一言で片付くものだ。
 相手に面白さをカ感じさせ、集中させ、互いの論旨を脳裏で戦わせ、結論を導き出させてこそこういう目的は成功なのだが、本作のシナリオはそのすべてを放棄している。
 だから、上記で述べた推察がまるで見当違いな見方だったとしても、その程度のゲスな連想を導き出させる程度にしか機能していないという事なのだ。

 「キスは、世界を閉じるためにするもの」?
 あーそう。勝手にすれば?


 恐らく、本作は世間的には“電波飛び交う不思議な思想物語”として解釈されているのではなかろうか。
 否、実は現実にそうだという事を各所の批評で得ているのだが、結局はそれがゴールだったのだ。

 だが、一方でこのゲームを絶賛し、褒め称える評価も多かった事にも、きちんと触れておかなくてはなるまい。
 これらのほとんどは、このシナリオライターが関わった他作品のプレイ経験のある方達によるものだったようだが、一度別作品でフォーマットを受ける事により、評価が転じるというのもまた事実らしい。
 ふむ…なるほど。
 
 しかし、残念ながら筆者は本作をプレイした限りでは、このシナリオライターの提供したものに共感する事もないだろうと思われるし、そうしたいとも考えない。
 近年、「制作者とそれによる作品はまったく別な物だ」という意見が、納得出来なくなってきた
 昔はそういう意見を私も持っていたのだが、近年、制作者側の都合や事情、本来求められる事がない筈の一方的な主張などがにじみ出ている作品が大変多く、作品を見る事が制作者の人となりを眺めるのと同一になってきた感すらある。
 100%制作側の姿を隠蔽する必要がないのは当然なのだが、だいたいそういう風に透けて見えるものは、消費者に対する制作者の傲慢な態度(としか解釈できない姿勢)だったり、自分勝手な…恐らくその人間にしか通じないだろう定義の掲示だったりする。
 悪いものばかりではないが、たまに存在するそういう物があまりに際立つため、すっかりそれぞれを別物として見る事が出来なくなってしまった。
 環境の犠牲者的な事は言う気はないが、本作にも、そういうきつい匂いが漂っているようにしか思えなかったのだ。

 商品面でも作品面でも大失敗…あまりに薄すぎる人生経験と見解を広げまくって、十数年後くらいに人生修行の成果を見せて欲しいものだ。
 少なくとも、それまでに「家族」や「法」というものに対するコンプレックスは治しておいた方がいいと思うが。


 嗚呼、“パチュラル”なんて無粋な表現してしまって、本当に申し訳ないと心から思っている(だったら書かなきゃいいのに…)。
 比べるのも失礼な作品だったわ。
 
 しかし、「やって損した」とは決して思っていない。
 むしろやって正解だったと思う。いや、本気で。
 個人的な評価はともかくとしても、こういうタイプの作品が存在するという事そのものは大変な意味があると思う。
 作品そのものが良かれ悪かれ、そのタイプにバリエーションが多いという事は、大変"未来が明るい"ですから。


(後藤夕貴)

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