猟奇の檻・第IV章 〜The
Final Mystery Adventure Game〜
「猟奇の檻」転生第2弾!
随分と久しぶりなこのシリーズ、今回の舞台は……こ、コミケ?!
1.メーカー名:ペンギンハウス
2.ジャンル:マップ移動型ADV
3.ストーリー完成度:E
4.H度:E
5.オススメ度:E(猟奇シリーズファンは、この作品の存在を忘れた方が賢明かも…いやマジで)
6.後略難易度:A
7.その他:…地に落ちた…
(ストーリー)
主人公・佐山一計(変更不可)は、大学のマンガ研究会の部長・幸田沙穂に接近するという目的で入部した、下心溢れるナイスな野郎。
年末に開催される、日本最大規模の同人誌展示即売会「コミック・ギャラリー(通称コミギャ)」への参加が決まったマン研だが、実は毎年恒例で、部員の中からイベントのボランティア警備員を一名捻出するというものがあった。
もちろん、その白羽の矢は愛すべき主人公・一計に立ち、彼は(色々な意味で)意気揚々とコミギャに参加する事になった。
準備と撤収に必要とされる日数を含め、コミギャは全8日間にも及ぶイベント。
その間に、一計は様々な人々と出会っていく。
しかし、その中には、場に不似合いな…松井という刑事と、その相棒の部下・小早川奈津美もいた。
なぜ、警察が…?
実は、コミギャ実行委員会の社長・氷川葉犂 のもとに、一通の脅迫状が届いていたのだ。
聖書の一文を引用したその内容は、コミギャの中枢に位置する者の退陣を促す内容だった。
そして、その脅迫状から、謎の愉快犯的反抗が始まり、ついには連続殺人事件へと繋がっていくのだが…
三流以下。
シリーズファンとしては非常に残念だが、もうこの言葉以外に相応しい表現はない。
少なくとも、これまでの「猟奇の檻」シリーズに対して抱いているイメージを求めて本作を購入すれば、肩透かしを食らってしまう事は必然と言い切っていいだろう。
とにかく、全編これツッコミ所の塊でしかなく、またシリーズの一作という条件を外して見てみても、あまりに中途半端な内容に泣けてくる。
いきなり暴言連発だけど、ここまで言い切るにはそれなりの理由がある。
もちろん、これまでの「猟奇の檻」は、いずれにも致命的なツッコミ所や妙に中途半端な部分が混在していたのは知っているし、私自身、それがこのシリーズの「味」だという事も理解している。
だが、そんなレベルでは済まないのだ、本作は!
とにかく、過去出会った事のないレベルの「ツッコミ所」を内包する本作を、レビューしてみたい。
で、当然今回もネタバレ丸だしなので、プレイ中・予定及び購入するつもりのある人は要注意!
■悲しいツッコミ =イベント編=
本作は、ストーリー解説にもあるようにコミックマーケット級の同人誌展示即売会が舞台となっている。
参加人数、場所、内容、開催時期などからして、もはや「コミケはまったく無関係」とは言わせないというほどのものだ。
まあ、もちろん「コミケとコミギャを完全にイコールには出来ない」というのはわかっているつもりだが、それでもコミケと比較しないで話をするわけにはいかないのだ。
コミックマーケットは、これまでの長い歴史で培われたスタッフ各位の経験と、数多くの“必然”が融合して現在のスタイルになっており、つまりはなるべくしてなったものと言ってもいい。
よく「ある程度以上の規模に膨れると、それはその創造主の手から離れてしまう」と言うが、おそらくコミケも同様で、開始当時から現在のスタイルが構築・最終目的とされていたわけではないだろう。
そういった背景は、別にコミケに限ったわけではなく、他にも存在する多くのイベントでも共通するもので、逆に「理想スタイル」を形成した上でいきなり大規模イベントを開催して、大失敗に終わったイベントだって存在する。
以上の事から、「コミックギャラリー」も、似たようなテイストがあってこれほどの規模になったもの、と解釈するのは自然だろう。
なので、以降は「コミックマーケットのようにデカい規模のイベント(コミギャも含む)」は、すべて「コミケ」という単語で大雑把に統一させていただく。
実は筆者は、本作の新作告知をオフィシャルサイトで見た時から、嫌な予感を感じていた。
というのも、そもそも「コミケ会場で事件」というシチュエーションは根本的に無理があるし、ましてや“連続殺人事件”なんて不可能に近いからだ。
それでも挑戦するというのならそれもありだろうが、その場合はイベントの事情というものをよく理解した上で、シナリオを構成しなくてはならないが…そもそも、どうしてコミケ会場が「檻」になるんだろうか?
そう、すべての疑問はここからはじまっているのだ。
過去のシリーズの舞台と、事件を検証してみよう。
「猟奇の檻(初代)」:
舞台「零式デパート」
事件内容「創立者自らの手による臓器売買のためのプラント運営・死体遺棄(人肉販売)」
「猟奇の檻第二章」:
舞台「遊園地ファンタージェン」
事件内容「怨恨による、スタッフ連続殺人」
「猟奇の檻第3章」:
舞台「TV局みらいテレビ株式会社」
事件内容「怨恨殺人(犯人は二人いるが、そのいずれも)」
一部無理はあるが、過去の作品はいずれもそれぞれのスタイルの「檻」がある。
それは「入り口を閉じると出る事が難しい」という意味でもあるし、また関係者同士のしがらみという意味もある。
つまり「出ようと思えば出られるけど、そう簡単にはいかない」という状況が整っており、その束縛された環境の中で発生する事件…という事でそれぞれの重みを演出してきたのだ。
得に三作目では「キャッツ」というアイドルグループの一員に加えられた少女の苦悩から発生した殺意…というのが、多少唐突な感はあれど、実にリアルだった。
ところが、本作にはそういった感覚はまったくない。
コミケなどを知っていればいるほど、この舞台を「檻」と例えるのには無理がある事が実感できるし、ましてや同人稼業の人間関係の中でそういった側面を見出すのもチープきわまりない事だとわかる。
筆者も、この十数年で推定数百回単位でコミケをはじめとする各種同人誌即売会に参加してきたが、まったくこの辺がわからない。
本編中、松井刑事が「まるで檻の中だ」と取って付けたみたいな事を言っているが、まさにナンセンス。
会場後しばらくの間は制限が設けられはするものの、基本的には出入りがまったく自由な上に、行き交う人間は膨大な数に及んでいるわけだから、ごく一部の人間が場に拘束される事はよほど特殊な事情がなければ不可能な筈だ。
もう一つ、コミケを舞台に選んでしまった事による問題がある。
それは非参加者・一般人の認識とは大きく異なり、コミケというものが「もっとも事故・危険に注意をはらっている」イベントであるという事実がある事だ。
あれだけの人数と開催回数である。
もちろん、過去にまったく事故がなかったとは言わないが、少なくとも大きな事故・事件はなく、数年前自動発火装置を仕掛けた愉快犯が出た時も、その後何年もその話題が各所で出続けたほどだった。
実際、消防署の指導などが介入し、サークルスペース(ブースとも言う)のテーブルに掛けられるテーブルクロスの長さにまで指摘が入ったり、おかしな所に一時的に置かれた荷物にまで疑問符が付加するほどだ。
その他、各所で警備関係者などが厳重に目を光らせており、あれだけの人数がひしめき合う場だというのに、標準以上の治安を維持し続けているのだから、もはや驚異と言わざるをえない。
ともあれ、少なくとも「事件を起こす」舞台とはもっとも縁遠いものなのだ。
そんな所で、大きな爆発事故・荷物の炎上、ましてや殺人なんかが起こったら…否、仮に事故による死者が出ただけでも、即座にコミケは中止、場合によっては一気に再起不能に陥る可能性も高い。
とにかく、そういう方向については限りなくデリケートかつ慎重に事を運んでいるものなのだ。
本編をプレイしていると、どうもコミケにはそういう部分があるという事に、途中から気がついたようにも感じる。
そして、それについてフォローを入れるつもりで、イベント部外者…つまり松井や小早川奈津美などに色々語らせているが、わざとらしさこの上ないものばかりで失笑を買ってしまう。
どういう意図があったのかわからないが…いや、逆に分かり易すぎたような気もするが(笑)、とにかく最初から大コケの予感があった事は否めない。
そもそも、現在29歳の女性が10年前にイベントを立ち上げ、その時点で社長として運営の中枢にいたというのも奇妙な話で、さらには自分の開催しているイベントの中で、爆発事件や放火事件を演出しているのだ。
その段階で、すでに練り込みも何もあったもんじゃない。
唯一成功しているのは、“主人公を参加者とせず、警備担当にした”という部分だ。
某“DCぶっ壊しソフト”のように、主人公を同人制作者または参加者としてしまっていたら、これほど自由に会場内を立ち回れなかっただろうし、また各ヒロインや他参加者達の信用を得る事は出来なかっただろう。
こういう展開の場合、主人公がどういう立場に設定されるのかは結構重要な問題だ。
なんとなくで決めてしまうと、後で立ち回りが上手くいかなくなり、自由に動かせなくなってしまうからだ。
もちろん、本作のように“会場外も行き放題”というのはかなり無茶ではあるが、 その辺は主人公のキャラクター性に依存する事である程度フォローが効くのだ。
■悲しいツッコミ =事件編=
もちろん、ツッコミ所はコミケ(舞台)関係だけではなく、発生したメインの事件そのものにも内包されている。
まず、本作の中で発生する事件には『必然性』というものがほとんど見受けられない。
はっきり「ない」と言い切ってもいいだろう。
そもそも、一部の嫌な人間を廃するために手の込んだ(笑)イヂワルを仕掛け、真犯人がそれにつけ込んだだけの話だ。
以降、隠したままで話を進めるのは困難なんでばっさりとバラしてしまうが、“真犯人”は松井刑事。
また、前作のように“実は別な犯人バージョンのシナリオがある”などという小粋な仕掛けは一切存在しない。
結局、松井は自分が元のキャリアに戻るために、この事件を足がかりにしようとしていただけなのだが、その動機も「湾癌署(←誤字ではない!)では大きな事件は起こらないから、自分で起こした」という程度にすぎない。
…小学生か、今回の実行犯は?!
そもそもの根元となった脅迫状からして変だ。
氷川葉犂(はづき)社長・恩太マグロ・佐々原に宛てて出された脅迫状は、葉犂が他の二人をイベント主催側から追い出すために行った自作自演なのだが、その理由が「自分達に対する見返りの求め方が極端になった」というものだが、ちょっと待って欲しい。
この二人は、コミギャ黎明期にその存在感を積極的に活かした事によりイベント全体を盛り立て、10年目にしてその参加人数の規模を100倍にまで押し上げた功労者なのだ。
ましてや、2回目の時点で10倍もの人数獲得に貢献しているのだから、他のスタッフなどと同格に扱ってはいけない筈だし、氷川社長としても頭が上がらない存在なのは当然の事だ。
もちろん、その立場にあぐらをかいて好き放題やって、氷川社長や深森を陵辱し続けたというのは問題だが、イベント運営という主眼で見た場合、実は彼らは問題児どころか絶対必要な存在になってしまうのだ。
であるにも関わらず、驚くべき事にこの脅迫状が出された背景には「この二人の要求する謝礼の額が膨大になりすぎたため」という、すっとんきょうな動機がある。
…何を考えているのやら、氷川社長?!
仮にも運営実行側は一つの大きな会社なのだから、10年もの間実質的な大黒柱となってくれた者達に対して謝礼を支払うのは当然の事で、長い年月を経てその額がどんどん上昇し続けるのは当然と言い切っていいし、第一誰もが予測できる事だ。
その要求額が、会社そのものの運営を傾かせるほどだというならば話は別だが、実はマグロにも佐々原にも、そこまで搾り取るメリットがない以上、そんなレベルにまで発展する可能性は著しく低い筈なのだ。
さもなければ、ずっと蜜を搾り取り続ける事ができないのだから。
何かまったく別なメリットが彼らの前に提示され、そのために氷川社長以下運営側の存在がうとましくなってきたというのであればわかるが、残念ながらそこまでの背景が彼らにはあり得ないという事も本編内で提示されている。
第一、彼等の請求するものがとんでもないレベルに達した…というなら、それは「出る所に出て正当に裁いてもらう」べき事だ。
これによって、氷川社長や深森がとんでもない扱いを彼等にされていたという事実が明るみに出るが、少なくとも氷川社長に関しては“そんな事気にしていられる立場ではない”事を自覚していただくしかない。
自分の恥ずかしい過去やプライベートが赤裸々に語られたとしても、会社の運営・存続の方がそんなものよりも遙かに大事だし、それが即座に理解出来なければ社長の資格なんか皆無だ。
彼女は、いったい何と何を比較して、こんな陳腐な行動に出てしまったのだろうか…筆者にはまったく理解できない。
また、この10年間の付き合いで彼らがいずれ調子に乗り始めるだろう事を予測できなかった段階で、氷川葉犂は社長失格と言い切ってもいいだろう。
社長として会社の運営をまかなう以上、業務上の人間関係の先を読む事は必須条件だ。
というより、これが欠如した人間には会社の頂点に立つ資格はない。
結果、氷川社長は10年間ただダラダラと惰性で会社を運営し、重要なところはすべて人任せ、自分はマグロ達の肉奴隷でいる事に従事し続けて来たようなもの…と言われても、反論はできない筈。
確かに、本編を見てみても彼女はまったく社長らしい事をしていないどころか、もはや奇行としか思えないような立ち回りを演じまくっている。
いくら警察によってその動きを制限されているとはいえ、これではあんまりだろう。
別な所に目を向けてみよう。
どうやら本編のメインヒロインのつもりらしい幸田沙穂だが、本編中の彼女の存在はさらなる疑問の塊だ。
彼女の両親の事故と、それに関わっていて実質的な加害者であったマグロとのやりとり、そこから囁かれた因縁説は、本編中でも重要な意味があるかのように見えて、実は真犯人を隠蔽するためだけに用意されたフェイクに過ぎなかったという意外な展開を見せる。
これらは結局真犯人とは完全に関係なかったため、本当にそれ以外にはまったく機能していないのだ。
そしてその段階で、沙穂というキャラクターは単なる“攻略対象”として主人公に愛嬌を振りまく程度の存在でしかない事、実は本編にとって「いてもいなくてもどーでもいい」存在であった事などが暴露されてしまう。
こりゃあ、いったい何だ?
たしかに、メインヒロインだからといって必ずしもストーリーの中枢に絡む必要はないとは思うが、それらしく匂わせたものが「まったくムダ」にしかなっていないというのはあまりにあんまりだ。
結局の所、最初の方で主人公をコミギャに向かわせた所でしか、彼女の存在意義は生きなかったと言い切れてしまうのが悲しい。
ある意味で、もっともお粗末な扱いを受けているメインヒロインではないだろうか? などと勝手に考えてしまう…
また、本作の事件の被害者達を見つめてみると、「なぜこいつが殺されなければならなかったのか」というキャラが多すぎる事にも驚かされる。
今回の事件は、あくまで「キャリア落ちして左遷された松井刑事が、復帰のための手柄とするため、殺人事件を自作自演した」という程度のものに過ぎず、色々と言い訳がましい付加説明があったものの、結果的にこの範囲を越えていない。
松井にとって、脅迫状が送られた者達以外に被害者を増やす事は、かなりのリスクが伴う行為である筈で、やりすぎると、自分が企んでいた根本的な到達目的「すべての罪を別な人間になすりつけ、そいつを逮捕する」というものが果たせなくなってしまうのだ。
ところが、本作はどうも途中でこの前提を忘れてしまったようなフシがある。
選択によって殺されるキャラは、正社員で警備担当の尾田・沙穂・小早川奈津美刑事・氷川葉犂で、ここにさらにマグロの担当編集者であり、尾田の元恋人・深森(みもり)が加わる。
尾田や深森は、かなりの無理があるものの葉犂を主体に物事を考えていけば、「協力者の口封じ」というう名目が成り立つのでまだ理解はできる。
わざわざ深森の自宅に潜入し、彼女を風呂につけた上で手首を切るという回りくどい事をする犯人の行動理念については、あえて不問に伏すが。
しかしこの中で、実は沙穂と奈津美には殺される理由がない。
先にも述べた通り、沙穂は事件とは実質的な関わりがない存在にも関わらず、ゲームの都合上「重要人物」っぽく擬装されただけの存在だ。
彼女が死ぬ事によって得する存在はおらず、また「得するだろう」と考えられる立場の容疑者もいない。
もしここで「しかし、真犯人の正体に近付きすぎたから消されたんじゃないの?」という考えが出てきたとしたなら、ちょっと待って欲しい。
実はこの事件、最終目的を完遂する前提で考慮すると、真犯人が「口封じ」をする必然性がほとんどないのだ。
調査にあたっている刑事が犯人、という事は、それらしき気配に気付かれた段階で松井の思惑は完全な失敗で、口封じの行為は、さらにそこに輪を掛けてしまうだけの効果しか発揮できないのだ。
沙穂と奈津美が殺された段階で、容疑者は葉犂・尾田・深森から実質的に外れてしまう。
“会場をただ混乱に陥れるだけ”が目的の愉快犯ならともかく、イベントを存続させつつ犯行を起こそうとしている前提上、沙穂と奈津美の殺害は「突発的にパニクった犯人が勢いで殺した」とでもしない限り言い訳が付かない。
もちろんこれは、奈津美が助かった時の「自分が殺されても助かっても、犯人にとっては〜」という台詞を踏まえた上での話である。
残念ながら、奈津美が「死んでも生きててもどっちでもいい」という状態にされてしまったという時点で、もはや本末転倒の極みなのだ。
わずかながらでも奈津美が死亡してしまう可能性がある以上、奈津美の分析は粗に対する言い訳の域を出ない。
尾田の場合も、何がなんだかわからない。
焼却炉に、縛られた上に放り込まれるより前に、彼は“改造エアーガン”なるものが発射した“鉄球”に狙われている。
しかも、会場内を警備している最中に、だ。
この際、「改造エアーガン」が会場内に持ち込まれた背景についての言及はやめておくが、これが用いられた段階で「犯人は尾田をいったいどうしたかったのか」がまるでわからなくなる。
仮に殺す目的があったにしても、そのいずれも“コミケの会場でやるべき手段ではない”ものばかりだ。
尾田は「狙撃に失敗」→「意識を無理矢理失わせ、拘束され」→「焼却炉の中に放り込まれ」るという、これ以上ないくらいとんでもない目に遭っている事になる。
ましてや、彼がそんな目に遭っている時点では、まだ明確な犯人像は提示されていない。
尾田が「真犯人ではないらしい」という情報が出てきただけの話なのだ。
以上の事から、筆者はこの演出の意図がまったく理解できない。
たぶん「なんとなくサスペンスな展開にしよう。じゃ、尾田殺しちゃえ!」的な“勢い”で付加された程度の演出なのだろうが…ホントに謎解きやるつもりがあったのかと、追求してみたい気分に駆られる。
なお上記の「改造エアーガン」と「鉄球」は、ゲーム内本文そのまんまの表現なので、ツッコミはご容赦。
この「鉄球」なるものが、尾田の持っている無線機に命中してしまった事から、彼との連絡が途絶してしまうという展開だが、彼と主人公の使っている無線機は「軍隊が使用しているような、ごっつくで丈夫な奴」で、主人公が何度も落としているにも関わらずびくともしないほどの頑丈さを誇っているらしい。
そんなものの通信機能を完全に破壊してしまえるほどの威力のある「鉄球」を射出する「改造エアーガン」…何か言いたくなるのは筆者だけではあるまい。
■掘り下げの浅さ・思慮の浅さの目立つシナリオ
先から繰り返してきた通り、本作のシナリオは掘り下げも練り込みも足りず、かなり無理と無茶が寄せ集まったものに仕上がっており、それは過去のシリーズの内包してきた「粗」とは比較にならないひどさに達している。
とにかくすべてにおいて、シナリオライターがほとんど何も知らずに書いているようにしか思えないのだ。
これは人間的無知さとかの話ではなく(それじや単なる個人攻撃だし)、何かしらの作品を作る際に必要とされる「下調べ」を怠ったゆえの結果ではないかと推察される。
たとえば、まず間違いなくコミケというものを知らない。
コミケは、いわゆる「オタク文化の結晶・集合体」とか「もはや別次元のイベント」などと色々言われているが、そういう部分とは別に実際に立ち入ってみなければわからない様々な事情が存在する。
最初の項でも触れた部分なんかがその一部だが、これらは、他人から情報を与えられたり何かの本を読んだだけで理解できるような簡単なものじゃない。
一番大きな問題は「連続6日間、サークルの入れ替えまったくなしで行われるイベント」という設定だ。
コミックマーケットは、現在は3日間、それぞれの日ごとに大雑把なジャンル区分を行ってサークルを振り分けている。
世間的には「一日目/一般系 二日目/女性向け 三日目/男性向け」と言われているが、細かな実情は抜きにすればそれぞれの日に参加するサークルは全部違っていて、一日目のサークルを三日目に発見する事は不可能という事になっている(実際はそうとも限らないが、裏事情の説明はこのページの本意ではないので割愛する)。
これはもちろん、入れ替えを行う事により「少しでも多くのサークルを参加させる」ためのものだが、現実問題として三日間連続参加ともなると参加者各位の精神的・体力的疲労や費やされる所持金の額もバカにならなくなってくるので、これ以上運営日数の増加などの規模拡張が行えないのだ。
以前は年二回・二日間の開催だったのだが、これが三日間に延長されるという話が初めて出た当時も「大丈夫なのか」と不安が囁かれたものだった。
対して「コミックギャラリー」は、準備と撤収を別にしても6日間に及び、しかも一度参加すると自動的にすべての日数にサークル参加できるようだ。
これは、弱小も中堅も、大手もみんなひっくるめての事らしい。
こんな“いつ行っても同じ”構成内容のイベントが6日間も続いたら、最終日に近づくにつれて参加者の数が目減りしていく事は間違いなく、大変頭の悪い運営と言わざるを得なくなる。
ましてや、50万人規模(まあ、のべだろうが…)にも及ぶイベントだというのに、会場のいろんな所で顔見知りとばったり出くわすというのもおかしな話だ。
実際に会場に行ってみればわかるが、コミケで知人と離れてしまったら、待ち合わせを厳密に決めておかないと、もう会場内で再会する事は不可能に近い(特定サークルスペースなどがある場合は別だが)。
仮に相手がよく行くと思われるエリアがわかっていたとしても、だ。
それだけ、移動する人間の規模が巨大なのだ。出会えたとしたら、結構な偶然または奇跡である。
事実、筆者も以前10人近いグループと参加した事があるが、その時も色々な所でばったりはち合わせ…などという事態はまったく起こらなかった。
確かに、そこまでこだわってしまったらこういうスタイルのゲームは進行しない、という事情はあるだろう。
でも、だったら素直にコミケじゃない所を舞台にすればいいだけの話なのだ。
また、前日搬入や撤収日についても、ずいぶんと偏見溢れる描き方がされている。
前日に本を売りさばく奴らがいるわ、それに対して異を唱える者がまったくいないわ、夜になったら会場で前夜祭よろしくパーティ始めるわ(しかも会社主催の筈なのに一般の参加者が平気な顔して混じっているし)…挙げていったらきりがない。
「某イベントCP」の閉場後の会場内での打ち上げパーティだって、相当な顰蹙だったというのに…
どうも「コミケって、結局会社みたいな感じのところが、適当な人材が適当に集まって、適当にやっているんでしょ? しかも全員タダ働きでさ」…といった程度の認識の元に書かれているシナリオのように思えてならない。
そんな事言い出したら、現役のコミケスタッフさん達は怒るどころの騒ぎじゃないと思うんだが…
さらに、専門の警備会社に依頼せず自社社員に警備をやらせたり(なぜプロを使わない?)、スタッフ個人を放送で呼び出したり、全ての日に参加する臨時警備員が完全なボランティアだったり(会社だったら、こういう場合は普通時給を出さなくてはならない)、とどめには会場の脇に焼却炉を用意したりと、むちゃくちゃの限りを尽くしている。
特に焼却炉は、最終日に突然出現する謎の存在で、被害者キャラを燃やす以外に存在意義がない。
第一、こんなところにあったとしても、開催中の事故を考慮して使用できないようにでもしておかないと、とんでもない事になってしまう筈なんだがなあ……あ、だから燃えたのか(笑)。
コミケ関係以外でも、とんでもなさは炸裂している。
たとえば松井刑事だが、言うまでもなく、このキャラクターは「機動警察パトレイバー」のパクり要素の集合体という醜悪な存在だ。
ちなみに「パロディ」ではない。「パクり」。
パロディというのは、元ネタを知っている人間に対しての呼びかけ的な部分があり「わかってくれるでしょ、ね?」といったニュアンスを意図的に含ませるものを示す。
そのため、部分的にわざと元ネタそのまんまのものを加えたり誰かに突っ込ませるというサポートを行う必要があるのだ。
ところが松井刑事はそのいずれもなく、まるで「キミタチ、元ネタわかる? ん?」と言われているかのようで大変不快感を煽られる…ような気がする。
こんなメジャーすぎるネタ、わざわざ自慢げに提示されるようなものではない。
当時この作品を見ていた人だったら知ってて当然の、表面的な知識ばかりだ。
・松井喜一という名前…警視庁特殊車両二課・後藤喜一警部補(後藤隊長)と、警視庁刑事・松井の合成。
・外観…ボサボサ頭の後藤隊長が、松井刑事風のコートを羽織っているといった出で立ち。しかも猫背。
・設定…「あまりに切れすぎるため、湾岸にある暇な部署に左遷同然で押し込められた」という、後藤隊長そのまんまの設定。
・左遷の原因…同僚の「後藤」という人間の策略。
・その他…「上海亭」という単語を呼び出し時の隠語にする/「出涸らしだけど…」というパトレイバー本編内の台詞の流用など
ちなみにここで誇らしげに使っている「上海亭」という単語は、正確には「パトレイバー」が元ネタという事ではなく、「うる星やつら」「赤い眼鏡」などで有名な押井守監督の持ちネタである。
事実この単語は、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」にて、友引町をハリアーで脱出しようとした面堂終太郎が面堂家私設警察本部に通信を入れようとして混線(?)した時の、「はいこちら上海亭。すぃやせんねぇ、チャーシューメン3つ、今出ましたから!」という台詞で登場している。
「パトレイバー」では、最初のOVA第6巻「二課の一番長い日・後編」にて、逃亡中の後藤隊長が進士と連絡をつける際のキーワードとして使用している。
もっと醜悪極まりないのは「沙穂ルート」での、沙穂が襲われかけた後の突然の主人公誘惑の場面だろう。
2年続けて、コミギャの変質的参加者(事件とは無関係)にさらわれかけた沙穂は、助けられた直後、突然主人公との初体験を申し出る…という、噴飯通り越して「ふざけんなおんどりゃ」状態の演出が平気でぶちかまされる。
いくら自暴自棄になっているとはいえ、かろうじて助かった身でそんな事言い出す奴がこの世におるかーっ!(二次元キャラじゃん、というツッコミは勘弁ね)…ってな感じだ。
あまつさえ、そのいたす場所は警備室内のシャワー室…もはや、モラルもへったくれもここにはなくなっている。
すでに沙穂の心情はうそっぱちにしか見えず、主人公のモラリズムも説得力を大きく欠いてしまう。
こんな演出を普通に流されても、開いた口がふさがらなくなるだけだ。
さらにとんでもない事に、主人公は行為に慣れていない沙穂のためにと、ローション代わりにボディソープを使用したりする。
…嗚呼、無知…信じられない…
あれって、体内に入るととんでもない事になるっていう常識すらないとは…
文章の性質上、具体的な場所は書けないが、そういう事をしている最中に粘膜部分にボディソープが付着すると、しみるような感覚や激しい痛みを伴い、場合によっては炎症、ひどい事になると泌尿器にとんでもないダメージを与える事になる。
海藻系原料のプレイローションが「体内に入っても無害」といちいち記しているのは、伊達ではないのだ。
ぬるぬるすりゃいいってもんじゃないでしょ。
この警備室は、他の場面でもしょっちゅう“主人公専用H部屋”として使用されている。
一般参加者は平気でかつ無断で出入りしまくりだし…嗚呼…もうタスケテ。
■手抜き
本作を語る上ではずせないのが、「あまりにむごい手抜き」だ。
キャラクターのアップ、一つひとつの細かなディテールの書き込みはそこそこなのだが、全体を通してみるとかなりとんでもない。
「やっつけ仕事」と言われても仕方ないレベルのものなのだが、これらは決して“わかる人にしかわからない”問題ではない。
・50万人参加しているにも関わらず、ほとんど人間が描かれていない背景。
・キャラクターの立ち絵が一枚だけ。
・三成月三姉妹
・大手サークル及び少女向けサークルの両方で、同じ同人誌を頒布している(しかも委託などの関係は一切ない)
これらが、もっとも目立つポイントだろう。
本作は信じられない事に、ほぼ全員がたった一枚きりの立ちCGしか持っていない。
イベントCGを別にすると、途中で表情を一度だけ変える磯江圭子と、コスプレしたために見かけに変化が生じる沙穂だけが例外であり、あとはどんな深刻な場面でも笑顔を絶やさなかったり、泣いている場面でものほほーんとした顔つきのまんまだったりととんでもない事が連続して発生する。
むしろ、イベントCGでしか顔が出ない主人公の方が、表情豊かに思えてしまうほどだ。
そして、その中でも究極に位置するのが、陶子・千鶴子・加菜子の“三成月三姉妹”。
彼女達は事件に一切関わらない存在・単なる攻略対象なのだが、なんと全員CGが同じである。
正確に言えば目の形と口元だけが異なっているのだが、それ以外は完全な使い回し。
画面上でキャラが入れ替わっても、知らない人間がみたら「表情を変えただけ」にしか思えないという始末。
念のためと、本編プレイ中にスタッフのMr.Boo氏にも見てもらったが、氏も首を傾げていた。
あげくには「今この画面に映っているのは、誰だ?!」みたいなクイズにまで発展してしまった(笑)。
彼女達は全員共通の“ピンクハウス”系の服を着ているのだが、三女の加奈子はその格好の上にロングヘア・カチューシャまで付けて「ボーイッシュ」とされている。
いくらしゃべり方が元気で「ボク」呼称だからって…あんまりだ。
さらに、信じられない事に彼女達はイベントCGやエンディング画面まで使い回しだ。
警備室での1枚目のHシーン、姉妹個別エンド画面は完全同一であり(千鶴子だけ若干表情が違ったような気がしたが)、三人が同時に一つの画面に出てくるのは、イベントCGでたった3枚前後だ。
これは、どう見ても「いちいち全員デザインしていたら納期に間に合わなかった」としか思えない、かなり乱暴な逃げ方だ。
ちなみに、この三姉妹は身につけている“ピンクハウス風”の服を日常生活でも使用している。
普段からあんなカッコしている人達って、もはや筋金の入った一部の方々だけの筈なんだが…
彼女達から「女性のコミケ参加者=ピンクハウス」という単純極まりない思考が透けて見えるのは、筆者だけだろうか?
…さて、色々問題点ばかり指摘してきたが、それでは良い点はどうか…となると、少ないながらもなかなか捨てがたい部分があったりする。
それは本編内各所で登場する「一発ギャグ」なのだが、これについては掛け値なしで大爆笑させられた。
一番破壊力が高いのが、起きてこない主人公を起こすために尾田(♂)が用いた最終兵器
「お兄ちゃん、早く起きないと遅刻しちゃうぞ♪」(音声付)
…に尽きるだろう!!(爆)
他にも思わずクスッと微笑んでしまうネタが散りばめられていてられていて、そういう部分は素直に楽しめる。
設定要項だけ煮詰めると下品極まりない上に主体性がまったくない主人公が、それがさほど気にならないように描かれているというのも、一応注目しておきたい。
後白河天鳳とのやりとりなんかを見ていると、相当お下劣なやりとりにも関わらず、笑いが先に飛び出して嫌みな部分が頭に残らないのは面白いのではないか。
でも、この主人公…沙穂に入れあげているという設定がまだ固まらないうちから色々なヒロインに移り気しているので、沙穂などを相手にシリアスになっても、全然説得力がないんだよね。
ある意味、諸星あたるよりもタチが悪いように思えるのだが…。
(総評)
とにかく、もはや「猟奇の檻」とはいえないというのが最終的な判断だ。
そもそも、本作は過去の3タイトルとコンセプトが違っているのだから。
タイトル通りの“猟奇”なものがまったく登場しないというのもアレだが(もう「猟奇の概念」は何度も書いたので省略)、本来もっとも大切な筈だった「事件」「殺人」「犯人の心情」という3大要素が、まったく込められていないというのは悲しすぎる。
ましてや、冒頭の展開は「3」の焼き直しでしかなく、その上での、先に挙げてきた問題点が付加するのだ。
シリーズの一本と定めなくても、頭痛しかしてこないシロモノだ。
かといって、新機軸とするにしてはパワーも足りず、面白みがまるでない。
“肉男爵”という単語を継承すればそれが「猟奇の檻」だと思われても困る。
プレイしていた間の印象は、「ホントはこれ、猟奇の檻として作るつもりがなかったんじゃないか?」というものだった。
9人もいる攻略対象(加奈子と遼子は同一エンドだが、個別で三姉妹全員エンドというものがあるのでエンディング数も9になる)のうち、メインストーリーに関わっているのはなんと沙穂と奈津美・氷川葉犂社長だけであり、あとはすべて事件とは無関係の存在なのだ。
もちろん事件の部分的な情報は知っているが、だからといって解決に協力するわけではない。
ただ主人公の突発的な欲望の犠牲になったり、ドツキ漫才のツッコミ役になったりする程度でしかない。
攻略対象だとしても、攻略しているというよりも「ただ個別エンドに向かう」だけであり、決して何か労力を犠牲にした上でたどり着いたといった達成感はない。
これで「猟奇の檻だよ」とか言われても、こちらは苦笑すらできない。
ましてや本作は、メインストーリーラインがまったく変化しないため、一度トゥルーエンドになってしまうと後はただの作業になってしまい、大変退屈してしまう。
その上で、分岐が無駄に多く難易度だけはべらぼうに高いので、始末に負えない。
すさまじい時間的犠牲を払って、その上で迎えたエンディングが「最後のテキスト部分だけが違う」というものだったらどうだろうか?
本作はまさにそれであり、苦労に見合うメリットが全然用意されていないのだ。
さらには、エンディングロールすら用意されていない。
とても、プレイヤーの気持ちを考慮しているとは考え辛い出来だ。
ただ、変なところだけ「猟奇の檻」している所があり、益々頭が混乱する。
「1」の時に問題として指摘してきた部分だが、“途中経過で主人公は犯人の目星を付けているのに、全然違う人間を指摘する事ができる”という困った展開があったりする。
これは「猟奇の檻」に関わらず他の推理物でもたまにある問題だが、実はこのシリーズは「2」の時点でこれが改善されており、犯人特定の選択肢の場面では、その時点で怪しいと思われる人間の名前以外は表示されない方式になっていた。
「3」では、そもそもそういう選択がない。
せっかく良くなったというのに、最後にこれでは…やってらんねーって感じである。まさに…
そこに加え、既読スキップなどの「今ならあって当たり前」の機能がないため、以前見た同一イベントだと思ったら微妙に違う展開で、泣く泣くデータロード…という事態にもしょっちゅう遭遇してしまう。
これでは、怖くてスキップなんか使えたものじゃない。
とにかく、不親切の塊のような本作…悪気はなくても、どうしてもこういう論旨にまとまってしまうようだ。
第4章になっていきなりグレードダウンしてしまった「猟奇の檻」だが、表面的なお約束部分だけをなぞって、あとはまったく違うコンセプトを盛り込まれた…という単純な話だけでは、この低い完成度には至るまい。
少なくとも「3」の時点では、まだ“猟奇の檻を続けさせよう!”という気概みたいなものを感じる事が出来、ほめられない部分も多々あれどそれなりの説得力を稼いでいたものだ。
だが本作は、音楽こそなかなか良い雰囲気のものを使っている以外、気合いがまったくない。
どれくらい抜けきっているかはもうここまでで散々書いてきたので割愛するが、筆者にとっては「EVEbursterror」の後のEVEシリーズにも似た衝撃を感じてしまった。
もはや「猟奇の檻」は、過去の名タイトルというだけで埋没してしまうだけなのだろうか?
かつて感じた、あの重苦しく圧迫されるような雰囲気は、二度と味わえないのだろうか…
PS:全然関係ないが、87年〜91年頃まで、新潟市に「CGS(コミック・ギャラリー・サイド)」という名称の小さなイベントがあった。
このイベントは、当時にして「一般参加者のコスプレを全面禁止にした」という画期的な事をやっていたりする。
…ローカルネタでごめんなさい(笑)。
(後藤夕貴)