久遠の絆 〜再臨詔〜(ドリームキャスト)
約2年の間を空けて、プレステからドリキャスに移植された稀代の名タイトルここに降臨!
今回の目玉は、ドリキャス版でしかプレイできないシナリオ『再臨詔』編の存在だ!
御門武よ、万葉や栞、高杉や悠利、そして沙夜や吉川と共に、再び太祖との戦いに臨め!
…えっ?
1.メーカー名:FOG
2.ジャンル:マルチED型ADV(ただし「再臨詔」編は一本道)
3.ストーリー完成度:極上SSS。ただし「再臨詔」編は…
4.H度:C
5.オススメ度:これで初めてやる人は特上のA。ただしプレステ版経験者には…
6.攻略難易度:総合A。
7.その他:この「再臨詔」編をどう捉えるかで、その人の『久遠の絆』観は大きくゆらぐと見た。
(ストーリー)
主人公・御門武(変更可)は、17歳。2年前から、父親の都合で叔母の家に居候していた。
そこの一人娘…従姉妹であり、幼なじみの少女・斎栞と共に、秋津高校へと通う毎日。そして、また幼なじみであり、親友の有坂汰一も交えて、三人で何の変哲もない、平凡な生活を営んでいた。
ある日、武と汰一のクラスに転入生がやって来る。高原万葉…高校生らしからぬ美貌と雰囲気を備えた美少女は、転校初日、唐突に武に語りかけた。
「あなたは、私が殺すから…」
万葉の不可思議な態度に困惑しながらも、武は彼女の妖艶な魅力に、少しずつ興味を抱き始める。
しかしそれは、儚くも哀しい、そしてあまりに苦しい運命の輪廻が回り始めた兆候だったのだ。
おりしも、街で発生した連続“白骨”通り魔殺人事件が、世間を脅かしていた。
被害者の肉をすべて削ぎ落とし、ただの骨にしてしまうという猟奇事件…武は、昔から自分を悩ませていた“悪夢”で、その事件をはじめとして、それから起こる様々な怪異を幻視する事になる。
時同じく、武のクラスの担任・常磐沙夜もまた、同じ様な悪夢に悩まされていた。だが、彼等の日常がそれらの怪異に蝕まれる事は無かった。
とある授業中、沙夜の肩の上に半透明の“餓鬼”の姿を見るまでは…!!
(以上、プレステ版「久遠の絆」評論・後藤夕貴担当より抜粋)
(『再臨詔』編ストーリー)
ある夜の夢を境に、御門武には異常に明確な前世の記憶と、謎の能力が身に付いてしまった。
いつもと変わらない筈の日常生活…しかし、栞にはいつもと違う印象を与えてしまう。
そして、武の教室に万葉が転入してくる…
「百年ぶりだな」
武の言葉に、思わず立ち止まり、涙ぐむ万葉…
やがて万葉と急接近していく武。その姿は、まるで長年連れ添った夫婦のようですらあった。
以前にもあった日常…だが、何かが少しだけ違う。
自らを襲った小鬼に気付いた沙夜、自分を「パパ」と呼ぶ天野‥
そして武自身も、それを充分理解し、受け取めていた。
とある日の昼時、ささいな事から杵筑悠利に絡まれる武。
しかし、武は悠利を難なくいなし、逆に力で制してしまう。
「変わらないな、光栄…」
栞や高杉、汰一達の前で、武は悠利を前世の名前で呼び捨てた!
※またまた忠告です〜
今回はドリキャス版の批評ですが、本編内容がほとんど変わっていないため、あくまで「再臨詔」編をメインとして書くことにします。
→プレイステーション版『久遠の絆』評論(後藤夕貴担当)はこちらから
また、内容が内容なだけにネタバレバリバリになっています。
やる気があるけどまだ未プレイという人は、絶対と言っていいくらい読まない方がいいでしょう。
結構ショッキングなオチにまで触れていますから‥
さて「再臨詔」。
ドリキャス版では、高原万葉エンド(俗に言うトゥルーエンド)を見る事で条件が整い、再スタート直後の選択肢を選ぶ事により、完全新作「再臨詔」編に突入する。
ただし、子供の名前はデフォルトネームの「薙」のままでプレイしている事が条件となる。
冒頭の猟奇事件が発生する前なので、どれくらい前なのかはプレイ経験者ならすぐにわかる。
ストーリー解説を読んでもらえればわかる通り、このシナリオでは、御門武は前世の記憶と能力を有した状態でスタートしている(正確には、万葉との再会で完全となる)。
否、すでに太祖と戦いこれを打ち滅ぼして若神へと昇華した武が、以前救えなかった者達を救うため、意識だけ過去“万葉転校直前の日”に戻したのだ。
そのため、すでに先の展開を知っている上で行動する武と万葉のやりとりが面白い。
この世界では、武と万葉だけがすべての行程を把握して行動しているため、その他の重要キャラ達は、突然の状況変化に様々なリアクションを見せてくれる。
すなわち絶対の力を持った上で、あらゆる困難に当たる武を描く形なのだ。
これまでのように、運命や闇の皇子の資質に翻弄される弱さは無い。
そのため、まるで別キャラのように変身した、逞しさに溢れた主人公の魅力が堪能出来るのだ。
当然武がパワーアップした状態で始まるので、その周囲の状況もより凶悪さを増す。
そんな中で最も注目すべき部分は、“武はかつて救えなかった者達を救うためにやってきた”という目的意識の存在だ。
より過酷となった状況でも、武が必死にこの誓いを守ろうとする姿勢は健気であり、同時に美しくすらある。
救われなかった者の中には、なんと幹久までもが含まれているのだ(結局交渉決裂、戦闘にはなるが…)!
本シナリオの最大の魅力と言っても過言ではない“御門武”の描写は、最後まで一貫されている。
まずは、ここを大きく評価したい。
驚いた事に、このシナリオでは悠利が仲間として共に闘ってくれるようになる。
そして、なんと最終決戦には高杉や吉川までがその場にいるのだ! もちろん、彼らの転生や運命についても知った上で、だ。
そこまでの展開を知っているプレイヤーからすれば「なんでやねん」的な展開に思えるだろうが、そこにたどり着くまでの行程描写がしっかりしているため、違和感はさほど無い。それどころか、最終決戦に必要な存在であるという印象をうまく与えている。
長年に渡って対立していた、悠利(光栄)と武(鷹久)。
しかし若神となった武の目的意識の中には、「悠利を救う」事もちゃんと含まれているのだ。
前回の太祖との闘いで陰惨な結末を迎えた悠利の姿は、武の説得と高杉・栞の理解のおかげで完全に消滅する。
そして、武の行動と思い、さらには万葉や栞を巡る感情のやりとりにまで理解を示し、最後に暴走(?)する汰一に“説得”をかけるまでに至る。
なんという展開! そして、なんというカタルシス!
あれだけ激しくぶつかりあった者達が、ここまで心を通わせる事が出来たとは!
この辺のテンションは、嫌が上にも盛り上がる!
不覚にも、私は悠利の語りの場面で感涙に咽んだ。
栞編エンド間際以上の救いが、悠利に与えられたのだ。
そしてその代償として、武は半ば命を投げ出す事になっていくのだが…
武のこだわりが昇華した、最大の感激の瞬間だ。
恐らく、この後悠利には本当の幸せが訪れる事になるだろう。
栞の気持ちを理解し、関係を再認識した上で、もっとも身近で大切な存在…高杉の愛をも受け止める。
これほどの成長、そして救いはありえまい。
すさんだ悠利の気持ちが少しずつ氷解していく場面では、感動を禁じ得ない。
そんな彼が、太祖での闘いで見せる幻術…沙夜との連携で太祖を翻弄するシーンは、手に汗握るものがある。
吉川が死の運命を辿るきっかけとなった、汰一への手紙の件。
これも、武の対応で未然に防いでいる。
そのため吉川の変貌も発生せず、万葉への確執も生まれない。
明らかに運命が動いている事が感じられる。
手紙を受け取った汰一の反応と、それを受け止める吉川の態度、そして強さも、このシナリオの大きな見所の一つである。
汰一の気持ちを全て知った上でなおも彼を愛し、それを貫き通す事がどんなに難しく辛い事か…
途中何度も挫折しかけ、武に叱咤激励される場面を挿入する事で、こちらも見事に描ききってしまったのだ。
太祖から汰一を取り戻そうと駆け寄り、その身を取り込まれながらも彼を救おうとする姿あってこそ、汰一の気持ちは大きく動くのだと思う。
そう考えれば決戦に赴く前の一見無謀と思えた武の決定も、功を奏したといえるのだろう。
前回までは単なる端役…悠利の存在を引き立てるエッセンス止まりの存在だった高杉にも注目したい。
ここでは悠利との出会い、またどうして彼を愛するようになったかという件が説明される。
それにより、実は高杉の行動理念や根本的な思考は、吉川と大差ない事が見えてくる。
そのため…吉川と同じ理由を持って決戦の場に赴く事が許されるのだ。
前回では、彼女の必死の願いも叶わず悠利は滅されてしまった。
それは同時に、悠利だけでなく彼女自身も救われなかったという事になる。
武は、そんな彼女をも救おうと考えていたのだ。
武の願い通り、救えなかった者達はその自己犠牲を代償に救う事が出来た。
繰り返すが、この描写の徹底が本シナリオ最大の良点なのだ。
では、逆に前回一応救われた形となったキャラクター達(万葉をはじめとする武の周りの人々)の描写はどうだったのだろうか?
実は、ここにいくらか問題点が潜んでいるのだ。
まず、高原万葉。
このシナリオでは、これまでの過程で感じさせた神秘性は完全に消滅する。
天野の絡みもあるため、ほとんど「若いお母さん状態」。
もちろん、これは正体が完全にバレている上で展開する物語なのだから当然だろうが。
しかし、あまりに武にベタベタなものだからまるっきり別キャラになってしまったと言っても過言ではない。
善し悪しには関係ないが、これでかなり好みが分かれてしまうのではないかと思う。
シナリオ面では、具体的な日時が明かされないため、武と万葉がどれくらいの間愛を紡いだのかが不鮮明になっている。
どうやら文章から推察するに、万葉は1年以上(高原万葉という人間として)一人暮らしをしていたらしく、武もしばらくは夜な夜な通っていたらしい。
また添い寝もしていたらしいが、性交渉には至っていなかったらしい(最終局面で、太祖が万葉が処女である事をほのめかしている)。
時折、娘である天野が遊びに来るという状態だったらしいが、天野が公園で倒れた時点では、武は万葉の部屋にほとんど行かなくなっていたらしい。
ただ、ここで「もう1年以上独りで住んでいて、慣れてしまった」という旨の台詞が出てくる。
これは、武が通わなくなって一年なのか?
それとも、それとは関係なく1年なのか(万葉が記憶を過去に巻き戻してから1年なのか)?
後者なら武達は進級していなくてはならず、天野も卒業していなくてはならない。また、修学旅行先での展開もおかしくなってしまう。
物語を大きく左右する事ではないが、この辺でかなり感覚が狂ってしまったのは事実だ。
武との愛を紡いだ時間がどれくらいに渡ったのかが明確にされるだけで、二人の絆の深さがかなり強調されると思うのだ。
最終局面では、皆が武と万葉の絆の意味を把握する展開となる。
その説得力を増すためにも、この辺りをより明確にしていただきたかった。
本シナリオでは、前回の万葉の立場と武のそれが入れ替わる形で終結している。
この結末に最大級の問題があるのだが、それは後に回す事にしたい。
汰一は、今回もっとも貧乏クジを引いたであろうキャラクターだ。
このシナリオで、汰一はものすごくみっともない存在になってしまった。
もちろん、彼の気持ちの揺らぎを救おうという意向から、その内面描写を徹底させた故の弊害なのだが。
汰一の心の弱さ…万葉への断ち切れない想いと、武への兄弟愛の狭間で苦しむ姿に関しては、絶妙な表現で飾られていた。
しかし、太祖に実体を与えた後の展開では、汰一の心の醜い部分が強調され、それが太祖という姿で武を襲う形で描かれている。
すべてが本心の独白でない事はわかるのだが、あまりにネチネチした感情の羅列のため、それが汰一の品性そのものを下げてしまったかのような印象すらあたえてくるのだ。
後に詳しく触れるが、八岐之大蛇状態の太祖の支配から逃れ始めた汰一は、せっかく汚名返上の機会をつくったのにも関わらず、太祖のあまりのしぶとさ(正確に言うと、しつこすぎる描写)のため無駄なあがきに止められてしまい、その印象を好転するに至れなかった。
これは他に問題があるポイントだと思うが、汰一というキャラクターを描く上ではかなり問題となる部分ではなかろうか。
また、万葉の近くにすこしでも留まろうとするその姿からは前回までの端正さは微塵も感じられず、むしろストーカー的ともいえる粘着質な嫌らしさすら感じてしまう。
元々そういう要素がなかった訳ではないが、本シナリオではそれが余計に強調されている。
すでに武と万葉の関係を熟知しているはずなのに、だ。
前回は、武と万葉の関係がそこまで至っていなかった事もあり、汰一の行動や想いにもさほど違和感はなかった。
しかし本シナリオではその根本が異なるため、汰一が万葉にアプローチをかければかける程、ピエロになってしまうのだ。
いくらなんでも、そこまで彼の描写を入れ替えるべきなのだろうか?
そんな事すら考えてしまうのだ。
ドリキャス版で初プレイとなる人達は、このあまりの描写の変わり様をどう捉えるのだろうか?
個人的にすごく気になる所だ。
栞と沙夜は、かなり早い内から事情を説明され、それぞれの想いに決着をつける事を強要される、ある意味一番不幸なキャラだったかもしれない。
元々この「再臨詔」自体が“万葉エンド”の延長である以上、彼女達とのハッピーエンド展開は尊重される必然がない。
そう割り切ってしまったためか、彼女たちの描写は唖然とするほどアッサリしている。
むしろアッサリし過ぎで、栞は最終戦闘に別にいなくても良かったんじゃないか、とすら想わせてしまう(もちろん、彼女たちの存在そのものが重要な意味を持つので、一概にそう斬り捨てられないのだが)。
ただ、栞の魂鎮の巫女の力がいまいち活かされていなかったのが、個人的に残念。
もっともアレが最大に有効利用されたのは、太祖戦というよりは対悠利戦だったのだから仕方ないが…
沙夜は、その存在で太祖をおびき寄せるおとりになるなど、自分から選んだ道とはいえかなり辛い立場に立たされていた。
ましてや武と万葉のやりとりを、最年長者・保護管理者としての立場から冷静に見続けていなければならないという悲しい呪縛もあったと思われる。
ただ、いかんせん武との関わりのシーンが少ないため、いまいち表現が足りない感が否めない。
他のシナリオとの(選択肢による)つながりがない分もう少しプレイ時間を伸ばしても構わないから、この辺もきっちり押さえていただきたかったものだ。
栞には、あれだけ良い場面があったのだから…
さて、ある意味で最凶の問題を抱えたキャラクターであろう“天野聡子”。
本シナリオは、ファンの間で別名「天野シナリオ」と呼ばれていただけあって、前回とは比較にならないほど天野が絡んでくる。
ここで、天野は自分の本心を隠し続け、ひたすら武が記憶と自分の存在を思い出す事を願っていた事がわかる。
その気持ちがプレイヤーの予想を遙かに上回っていたため、万葉よりも何倍も、キャラクターイメージが変わってしまった。
ある意味万葉以上の神秘さを秘めていた天野は、このシナリオにはどこにも存在しないと言い切って良い。
これについては、プレイヤー各人の思い入れの度合いもあるだろうから断定は出来ないが、良くも悪くも変質してしまったのだ。
ひょっとしたら、元々こういう存在だったのかもしれない。そう思わせるポイントもいくつかあったのだが、マズイのは本シナリオでの彼女の使われ方だ。
まず、やたらと武に甘える天野の違和感。
これは、単純にキャライメージが変わってしまったためのものではない。
ここを把握するためには、「久遠の絆」本編以外の別の媒体を知っていなくてはならないという、重大な問題があるのだ。
本編中、天野がかつてつきあった事のある男性の話を出していたり、留学先の話に触れたりしているが、実はこれは株式会社ヘッドルームから刊行された書籍『久遠の絆 公式原画&設定集』の中に掲載されている小説「カシスの庭」からの引用なのだ。
これは海外生活をしている天野のサイドストーリーであり、ここで天野が父である武の存在を求めていた事、学友の兄であるミローシュという少年との関わりがあった事が描かれている(ミローシュとは、単に一時的に良い雰囲気になっただけだと思うのだが…)。
彼氏の件はともかくとして、天野の豹変については、これをどれくらい知っているかによって納得の度合いが大きく変わってくるのだ。
いいのかなー、「久遠の絆」プレイ経験者の何割が、この小説を読んだというのだろう。
こういう、ゲーム以外の要素からネタを引っ張ってくるのは、考え物だと思うのだが…
後にこれは他所にも転載されたらしいが、これについては未確認。初出はこちらで間違いないと思われる。
ご存じの通り、彼女の正体は“草薙の剣”こと天叢雲で、古き因習の束縛によって本当の名前を知られてしまう事で、その行動を縛られてしまう弱点を持っている。
今回これが最終決戦前に炸裂し、天野こと薙は、最終決戦では何も出来ない人質として登場してしまう。
すなわち武が行った記憶の転送を、横からハッキングして情報を得たという理屈らしく、太祖は薙という名前を知り、使われ方も把握した上で事前策を講じたのだ。
結果、なんとあれだけの活躍の骨子となった彼女は吉川や高杉よりもはるかに役立たずな存在になってしまった。
最終局面、実体を持って復活した太祖“八岐之大蛇”との決着場面で、彼女の光臨によるカタルシスを求めたプレイヤーも多かったと思う。
しかし、少し前に(明らかに太祖によって誘惑され)姿をくらませてしまったというシーンもあったものだから、何かがあって出てこれないだろう事もわかっている。その上でなお、天叢雲の登場を心待ちにしていたのだ。
だが結局、武は天野を救うために事実上死亡、天野は黄泉の門を開くための力を(ちらっと)使うだけで、事実上その役目を終えてしまう。
…なーんか、すっごく歯切れが悪い。
これは私の想像に過ぎないが、どうやらシナリオライターはこの天野聡子というキャラクターに、並々ならぬ思い入れがあると見た。
そのため、それを中心にと描いた本シナリオで様々な問題が発生してしまったのだ。
自分の中で把握している設定部分を、整理しきらないうちにぶちまけた…そんな印象が否めない。
せっかく前回描かれていなかった意外な一面、可愛い姿も見る事が出来、キャラクターの深みを増したというのに、残念な事である。
とはいえ、一度とはいえ鷹久を裏切った螢の所業をきちんと覚えていたり、それに対するトラウマも抱えていたりと、シッカリと掘り下げられた面もある。
すべてが台無しになったとは言わないまでも、最終展開直前のやりとりは、もう少し練り込んで欲しかった。
ところで、天野は神剣状態になると分身できるんですか?
ラストのラスト画面、万葉他全員が天叢雲抜いているんですけど…?
最後に、本シナリオ最大の問題点“太祖”について触れておきたい。
今回は、はっきり言って前回の闘いなんか蛇足レベルに過ぎない程の激闘が繰り広げられるが、あまりに太祖が強すぎる。
いや、別に強い分にはいくら強くてもいいのだ。
引力光線吐いて空を飛ぼうが、宇宙怪獣を伴っていたって全然かまいやしない。
問題なのは、武達がどんな攻撃を仕掛けてもなかなか状況が変化しない展開がだらだらと続き、いつまでたっても決着しない事だ。
汰一や栞、沙夜の肉体を憑身として実体を得、巨大な体躯をさらす所までは凄く良い。
霊体にすぎなかった前回と比べて、それだけであまりに強大な敵と戦うというイメージを与える事が出来る。
しかし栞を救い出し、沙夜を救い出して実体を持った「首」があと一本になった途端、太祖は何かしらの理由をつけて武達を連続でピンチに陥れ始める。
ピンチを脱したらまたピンチ、それを脱したらさらにピンチ、それでもなんとか切り抜けてホッとしたら、実は状況は最初から全然好転していませんでした…というオチになる。
これをだいたいのプレイ時間で、2時間近くやらされるのである。
はっきり言って、やってられない。
「いいかげんにこの辺でくたばれや」と、コントローラー持つ手すら辛くなってくる。
確かに、ここで登場する太祖は以前闘ったものよりも遙かに強大になっていなくてはならず、武も若神の力を手にいれたとはいえ天叢雲も皇命の助力もなしで闘っているのだから、苦戦も当然なのだ。
それは充分わかっているのだが、物語の流れを受け止めるこちらはたまったものではない。
まして、物語の中核にいた筈の天野が安易に捕らわれてしまったがために、さらに始末に負えない存在へと太祖を昇華させてしまったものだから、完全にカタルシス崩壊である。
さかのぼればこれは、武が天野に素性を明かしてしまった段階から延々と続く失態の集大成なのだが。
でも、それが本シナリオの核なのであれば受け止めるのはやぶさかではない。
いくらそうなる理由が事前に描かれていようとも、それ故に「絶対にどうしようもない状況」を連発して重ねまくるのはいかがなものか。
まして、ラストでは共に黄泉に落ちた武が、太祖に捕らわれの状態となり心身を蝕まれていくという描写が加わり、さらにダウナーな気分にさせてしまう。
そこに助けにやってきた万葉・沙夜・汰一・栞・天野はいいのだけど、「これから真の闘い!」ってな場面でエンディングスクロールを流すとは、いったいどういうつもりだったのだろうか?
結局それでは、太祖を完全消滅させない限り(相手がどこにいようとも)闘いはいつまでも終わらないという事になる。
まして、そのもっとも大事な局面となるだろう手前で全てをぶった斬るとは、演出力を疑ってしまう。
いくら救われたキャラクターが増えたとは言っても最後がこれならば、かえって綺麗に締めた前回のトゥルーエンドの方がまだいい。
無理矢理続編を作って収集が着かなくなったという感じがして、はっきり言って醜悪以外の何物でもない。
以前「仮面ライダークウガ」は、グロンギの驚異から人々の笑顔を守った主人公・五代雄介の偉業を崩壊させたくないあまりに、その続編に位置する筈の「仮面ライダーアギト」の世界を、無理矢理異世界上の展開にしてしまうという暴挙を行った(クウガ世界の主要な単語や設定が継続されているのにも関わらずである)。
せっかく平和を守ったのに、その後別な敵が現れるなんて雄介が可哀想だ…という意見なのだが、ようやくこの気持ちが理解できた。
やってられないよ、これじゃあ…
(総評)
別に無くても良かったシナリオ…と、私は結論づけるしかない。
もちろん色々と面白かった事も事実なので全てを否定したくはないのだが、あまりにお粗末な結末は、本編の完成度の高さをも浸食しかねない程の醜悪さだったと言い切れよう。
ちなみに本ソフト、プレステ版に比べてずいぶんと使い勝手が良くなった。
1枚のメモリーカードに(容量に関係なく)3箇所しか出来なかったセーブは一気に20箇所に増大し、かなりマヌケだった効果音はリアルなものに差し替えられ(学校のチャイムなんかがその例)、さらには音楽集にのみ収録されていた未使用曲もふんだんに使われ、さらに場面を盛り上げていた。
そして指摘の多かった誤字脱字も結構訂正されており(再臨詔ではまだちょこちょこ…)、全部比較した訳ではないが、どうやら多少不自然に感じられた展開も修正を加えたようだ。
結果として、単一のソフトとしてはかなりの高水準になっていると思われる。
これまでの評論は、あくまで「再臨詔」編1つに限っての評価に過ぎないから、ソフトそのものに対してのお奨め度は高いポイントを付けたい。
ただし、プレステ版で魅せられてDC版をも購入した人達だって結構いた筈だ。
その人達も、すでに解っている内容のものを一から始め、その上で「再臨詔」に臨まなければならない。
その上でこのシナリオ展開では、納得されるだろうか…?
実は「再臨詔」をプレイしていてずっと気になっていた事があった。
「本編プレイから“再臨詔”プレイまでに時間が空いてしまった人」と「トゥルーエンド終了直後から“再臨詔”を始めた人」とで、受ける印象が結構変わるのではないか、という疑問だ。
大概は後者のパターンとなるだろうが、私はあえて本来の攻略パターンを放棄し、前者プレイを試みた。
つまり、データを友人から拝借して「再臨詔」編から先にプレイし、それから本編に戻るという逆パターンだ。
私の場合、プレステ版から丸一年の間が空いている。
こういう過程でプレイすると、本当に久しい連中と出会えたという感も手伝って、かなり感傷に浸る事が出来た。
そのためか、納得のいかない「再臨詔」編も切り分けて考えるゆとりが生まれ、決して“久遠の絆”世界そのものを否定するには至らなかった。
だが、本来のプレイをした人にとって…ましてや、DC版から始めた人にとってはどうだろう?
彼らにとっては「再臨詔」編も含めて1つの『久遠の絆』なのだ。
こんな些細な事が、本作に対する心象を大きく左右しかねない事実に驚いた。
ちょっと期待しすぎたのかな?
これが、本作に私が出した最終結論だ。
(後藤夕貴)