『仮面ライダー龍騎』
第49話 叶えたい願い
用語解説
脚本的にまずい

 この辺り、鷹羽の書き方が相当舌足らずだったようで、元締はじめ複数の方から反論をいただいたので少々補足説明をしてみよう。
 ただ、元の文章を修正しては意味がないので、別の文章として語ることにする。
 
 まず、『龍騎』という番組においてこれまで描かれてきた「ライダーの願い」というものについて考えてみると、これまでずっと“13人のライダーの頂点に立った最後の1人が得られる力で叶えようとする願い”として語られてきた。
 真司自身、士郎の目的を知ったとき、一度は「ライダーの願い」を使って優衣を救うべく蓮と戦おうとしており、この言葉の意味をほかのライダーと同様に解釈していたことは疑いようがない。
 そんな、言ってしまえばマイナスイメージの塊のような「ライダーの願い」を引っ張り出して「ミラーワールドを閉じたい、戦いを止めたい」と言う真司に、鷹羽は強烈な違和感を感じる。
 46話『タイガは英雄』では、士郎が真司に「これでようやくお前の望みが決まったな。お前も本当の意味で仮面ライダーとして戦え」と言っている。
 これはほんの1か月ほど前に真司と士郎との間で交わされた会話であり、決して無視できない過去の出来事なのだ。
 いきなりこれを度外視して『今回真司が言った“ライダーの1人としての願い”だけは違う意味を持つ』と解釈するわけにはいくまい。
 もちろん、一般的には、同じ言葉を敢えてそれまでと違う意味で使うことによってより深い意味を持たせるというのはアリだ。
 だがそれは、そこに至るまでの流れの中で、その言葉の背負う意味を変えるだけの何かを積み重ねていなければならない。
 真司にとってもほかのライダーにとっても、「ライダーの願い」の意味が変質するようなことは特段起きていない
 たしかに、大久保に言われた「お前の信じるもの」という言葉、そして救われることを拒絶した優衣の慟哭が真司の内面において「何をするべきなのか」を問い直す効果があったことは間違いないだろうが、それが「ライダーの願い」という言葉を紡ぎ出すのかは甚だ疑問だ。
 ある日突然それまでの流れと違うことを言われても、戸惑ってしまう。
 『兄弟拳バイクロッサー』の敵組織デスターは、ダイヤ好きの首領ドクターQが、子供の泣き声を聞くとダイヤを吐き出す石像:魔人ゴーラからダイヤを手に入れるべく画策する物語だったが、中盤の敵組織パワーアップでゴーラがゴーラゾンガーに変わった際、ゴーラゾンガーに「世界征服を狙ったらどうだ」みたいなことを言われたドクターQが「わしの最終目的はそれよ」といきなり言い出したことに腰を抜かした人は多かろう。
 あんた、今までダイヤにしか興味なかったやんか!
 
 次に、“ライダーの戦いを止める”という言葉の是非がある。
 この時点で、真司は士郎(の名代としてのオーディン)が優衣の、蓮が恵里の、北岡が彼自身の延命を「ライダーの願い」としていることを知っている。
 “ライダーの戦いを止める”ということがそれらの願いを叩き潰すことにほかならないことは、鷹羽が再三言ってきたとおり、それに見合うだけの覚悟が必要なことだし、真司自身も承知しているはずだ。
 逆にライダーの戦いを続けるということは、他のライダーの死を容認する覚悟がいる。
 いみじくも大久保が言っている「お前の信じるもの」とは、そういう覚悟だろう。
 果たして真司にそれがあったと言えるのか。
 まぁ、真司にとっては、優衣は彼女自身が「他者の犠牲によって得た命はいらない」と拒絶している上に既に死んだ人間であることも知っているから見捨ててもいいし、恵里についても真司は「無理矢理命を与えることに意味があるのか」と考えているから問題はないだろう。
 だが、北岡は自分自身を救うために戦っているのであり、真司も「それだって絶対間違っているとは言えない」と思っている。
 では、真司は自分の信念と北岡の信念を比べた上で自分を優先しているのかというと、そうは感じられない。
 真司も、「昨日からずっと考えてて、それでも分かんなくて」と言っている。
 それがどういう経緯で「戦いを止めたい」という結論に落ち着いたのだろう。
 北岡の希望をうち砕いてでも戦いを止めたい、本当にそう思ったのだろうか?
 一応書いておくが、真司は北岡が脱落宣言されたことをあまり気に留めているようには感じられないから、「ま、どうせもうドロップアウトした人だから願いは叶わないんだし」と考えているとは思えない。
 現実問題として、真司の心情に関係なく蓮はオーディンと戦う気満々だし、北岡は浅倉と戦おうとしている。
 そして、真司は蓮に「できれば死ぬなよ」とは言っているが、「頼むから戦うのはやめてくれ、俺の遺言だ」という止め方もできるはずなのにしていない。
 そう言ったからといって蓮が戦いをやめる可能性は低いが、少なくとも死ぬ前にもう1回くらい“戦いをやめてくれ”とお願いするくらいしたらどうだろう?
 蓮の自由意思に任せたら戦いは止まらないだろうことは、真司にだって分かっているはずだ。
 穿った見方をすれば、真司は深手を負ってもうやばいかなと思ったとき、つまりその後の展開に責任を持たなくてもよくなった段階で初めて結論を出したわけで、もはや果たせないと決まった後で願いを口にしているとも言える。
 例えば、一般に、蕎麦は噛まずに飲み込むのが粋とされているそうだ。
 普段「蕎麦を噛むような奴に、蕎麦食う資格はねぇ」と言っていた蕎麦通の男が死の間際に「一度でいいから蕎麦を噛んで食べてみたかった」と言って死んだとすると、「今まで言ってたことと違うじゃねぇかよ!?」ということになる。
  それは、それまでの男の言動と死の間際の言葉とのギャップが生む違和感だ。
 今回は、これと似たようなものに思える。  
 つまり、真司が死を前に求めた「ミラーワールドを閉じたい」という願いは、締切を前に取りあえず思考停止して自分の気持ちを優先した結果に見えるのだ。
 
 ここで、真司が深手を負う前から自分の戦う目的、すなわち最重要課題を“ミラーワールドを閉じ、ライダーの戦いを止める”と定めていて、それを死の間際に“ライダーの1人としての願い”と言ったと仮定しよう。
 前述のとおり、鷹羽にはそう解釈するには裏打ちが足りないように思えるが。
 最重要課題とは、ほかを振り捨ててでも果たすべき目標だ。
 今回の場合、真司がなすべきことは、もう1日、なんとしてもほかのライダーが死なないように邪魔し続けて時間切れ逃げ切り勝ちを狙うしかない。
 1月19日が終われば必然的にライダーの戦いは終わるのだから、それまでライダーを守り抜けば「戦いを止めたい」という願いは叶う。
 真司がなすべきは、ライダーを死なせないようライダー同士の戦いの邪魔をすることであり、そのためには自分がまず生き延びなければならない。
 自分が死んでは、止める者がいなくなるのだから。
 それが最重要課題である以上、真司は再び“多く(モンスターに襲われる人々)を救うために少数(ライダー)を犠牲にする”のか“少数を救うために多くを犠牲にするのか”という二者択一に迫られることになる。
 この『龍騎』 という番組では、自分の願いを叶えるためにライダーの命を犠牲にしなければならないという命題が常に掲げられてきた。
 ライアにしても、自分の占いの結果を変えるため=運命を変えるために、自分の命を犠牲にしている。
 “何かを得ようとする人はそれに伴って何かを犠牲にしなければならない”ということこそがこの番組の持つバックボーンではないだろうか。
 その中にあって、真司だけがあらゆる犠牲を是とせずに悩み続けてきた。
 そして、最後に出した結論が“戦いを止めたい”ではないのか?
 この最重要課題を達成しようとするならば、レイドラグーンの群が人々を襲っている中、真司は蓮と自分だけは守り抜かねばならない。
 ナイトが死ねば、ライダーを守るという目的を果たせないし、最後のライダーが決まるのを虎視眈々と狙っているオーディンの思う壺だ。
 少女を助けつつ自分も無傷というのが理想だが、最低限自分の身は守らなければならない。
 それなのに少女を助けて深手を負うなど、結局“ライダーを救うためにほかの何かを犠牲にする”覚悟が中途半端なままだったということになるではないか。
 どんなに口で「ミラーワールドを閉じたい、戦いを止めたい」と言っていても、実行が伴わなければ何の役に立たない。
 ゆうきまさみ作『究極超人あ〜る』ラストであ〜るがやった「お前なんか許さないぞ」と言いつつ逃げるという行為、つまり“心理的には許さないが、具体的にどうにかするわけではない”のと同じ“戦いを止める決意はあるが、具体的に目的を果たすための努力はしない(できない)”状態だ。
 真司は、本編中ずっと、理想を語りながらそれを現実化するための具体的な方策を講じられないままできた。
 優衣を救いたいと言いながらナイトにトドメを刺せなかったときのように、今回も結局決意を口にしながら行動が伴わない。
 書き手側に真司を中途半端な人間として描きたいという意図があるのでなければ、この台詞は失敗だったと言わざるを得ない。
 
 だが。
 少女を救うという真司の行為自体は、それまでの真司の行動理念からすれば大変納得できるし、鷹羽は、“自分の身を盾にして少女を救う”という咄嗟の行動を高く評価している。
 もし、真司の最重要課題が“自分の目の前で誰も死なせない”というどこぞの流浪人のようなものであるならば、真司の死は自分の目的のために戦って散った素晴らしいものと言えるだろう。
 「モンスターからみんなを守る」…これは、真司が当初から言い続けてきた言葉だ。
 確かに言い古された言葉ではあるが、少なくとも“目の前にいる人間”に関する限り、真司は常に全力で守ろうとしてきたという実績がある。
 19話『ライダー集結』では、ファミレスで浅倉に人質にされた少女のために敢えて自分もファミレスに残っているし、後先考えない性格ながらその場その場ではそれなりに筋の通った行動を取ることが多いのもまた事実。
 そうしたことを考え合わせたとき、真司の「信じるもの」が“誰も殺させない”というものであるならば、これまでの趣旨に照らして自然な流れだし、自身の進むべき道を模索して原点に立ち返るというのも、よくある話だが説得力がある。
 また、28話『タイムベント』で、真司は「人を守るためにライダーになったんだから、ライダーを守ったっていい!」とも言っている。
 セリフの裏側に積もった意味というのは、その言葉にどれだけの歴史があるかによって得られる場合も多いわけで、ことあるごとに真司が積み重ねてきた「死なせたくない」という意味合いの言葉の集大成として、鷹羽はこの「誰も殺させない」という言葉を最期に真司に言ってほしかった。
 ちなみに、この時点で真司は優衣を救うことを諦めているわけで、「誰も死なせない」では実態に合わないと思うから「殺させない」という表現にしている。
 また、「誰も殺させない」という言い方には、当然ライダーの戦いを止めるということも含まれているわけで、市井の人も救うことを積極的に主張しているという点でむしろ「戦いを止める」より広範な人を対象にしている。
 何より、これなら志半ばにして倒れたとしてもそれなりの成果を残しているわけで、“大言壮語を掲げたくせに何もしないで死んだ”ことにはならない
 鷹羽は、愚直なまでに人を守ることに拘った(ライダーとして戦おうとしたのも優衣を救うため)真司というキャラ描写自体は基本的に嫌いではないので、最期くらいそれなりの達成感のある死を演出してほしかった。
 
 先にも述べたとおり、鷹羽の好き嫌いは別として、脚本として“どこまでも中途半端な人間”として真司を描きたかったというなら、今回は大成功だったと思う。
 鷹羽が真司の最期に不満を持ったのは、言葉に行動の伴わない人間が嫌いという鷹羽の趣味が前面に出た結果だ。
 だが、真司の最期を飾ろうとしてのものなら、やはり失敗だったと言いたい。
 そんなわけで、鷹羽は、真司の最後の言葉に「ライダーの1人としての願い」という言葉を使ったことに強い不満を持っているのだ。


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