『仮面ライダーアギト』評論
第1回
『仮面ライダーアギト』が始まってから約5か月が経った。
視聴率は相変わらず良いらしいのだが、その反面、オモチャの売上は芳しくないらしい。
また、ここの掲示板を見る限りでは、多くの謎を振りまくばかりで一向に解明されないストーリー展開に批判も多いようだ。
じゃあなんで視聴率が高いのかと言えば、文句を言いながらも見ている人が多いからだろうとは思うのだけど…。
そこで、どうしてこうなっているのかを考えてみよう。
題して
『仮面ライダーアギト』マルチサイト論的考察
『アギト』を批判する人達が理由に挙げる大きな理由として
1 翔一が戦う理由に説得力がないために感情移入しにくい
2 アンノウンや沢木、謎の青年の目的がはっきりしない
3 謎が解明されないうちに次の謎が出るために、展開が分かりにくい
4 警察が無能
5 設定にアラが多い
などがある。
『設定のアラ』というのは、戸籍すら持っていないはずの翔一がバイクを運転していることや、普通免許しか持っていない氷川が大型バイク:ガードチェイサーを運転しているなどの細かいミスのことだ。
ただ、問題なのは、これらのミスが“もしかしたらミスではなく、何かの伏線かもしれない”という点だ。
氷川の普通免許はさすがに単なるミスだろうが、翔一の戸籍問題には裏がある可能性もある。
つまり、“海岸で行き倒れていた翔一をどうして美杉教授が引き取ったか”という疑問の答えかもしれないということだ。
“人類最初のアギト”であると思われる風谷伸幸の死に美杉教授が関わっていたのではないかと思わせる描写もあった。
例の風谷教授が死の直前に行っていた喫茶店『ラビット』の記念マグカップの件だ。
しかも非常にタチが悪いことに、本当の津上翔一、つまり沢木哲也が殺したという“人類最初のアギト”が、風谷伸幸であるかどうかも不明瞭なままだ。
恐らくこれ自体はフェイクだろうが、少なくとも翔一が風谷教授の死に関わっていた以上、美杉教授が引き取ったことには意味があるはずだ。
美杉教授は、倒れていた翔一を見付けたわけでも、見付けた女子高生の担任だったわけでもないし、翔一を担当した医者でもない。
美杉教授が翔一を知るには、誰かの仲介が必要だ。
教授自身に何の思惑もなかったとしても、誰かの意思が介在している必要がある。
もし、それが国家権力にすら影響を及ぼす立場の人間だとしたら…。
身元不明の翔一に仮名のままで免許証を発行することも簡単だろう。
そう考えると、もしかしたら最後には全ての謎が綺麗に解けてしまうからもしれない。
可能性は限りなくゼロに近いが、それでもゼロではない。
このどんでん返しの可能性があるため、正面切ってけなすわけにもいかないんだよな〜。
で、どうしてこんな話になってしまうかと言えば、描写が断片的すぎて全体像がまるで掴めないからだ。
『アギト』の構造はジグソーパズルのようなもので、一片ずつ見ていてもよく分からない。
だが、普通ならある程度ピースが集まり始めれば部分的にでも何かが見えてくるはず。
『アギト』が分かりにくいのは、そのパズルが立体で、しかもフェイクピースが多いためなのだ。
立体を把握するには、上下左右、様々な方向から見なければならない。
『アギト』の描写というのは、ある立体の6面図をそれぞれパズルにしているようなものだ。
しかも、『アギト』では、直接謎に絡まない部分も思わせ振りに描写しているわけだから、6面分のパズルのピースを一緒くたに混ぜ合わせた挙げ句、いらないピースまで混ぜているに等しい。
これを全部解いて立体を組み上げるのは至難の業だろう。
謎が解けないのも当然だ。
『アギト』には、アギト・G3・ギルスという3人のライダーが登場する。
この3人はそれぞれにライダーとなった理由を持っており、それが一面ずつのパズルの中心部に位置していると思われる。
それがあかつき号絡みであろうというのが現段階での主力意見だ。
翔一はあかつき号唯一の行方不明者らしいし、氷川はあかつき号を救ったことでG3装着者に抜擢された。
涼も父親があかつき号に乗っていたことから、何らかの影響を受けているのではないかと言われている。
この3人とその周囲のほかに、アンノウン、青年、沢木、あかつき号乗客達、警視庁上層部、北條というように多くの勢力があり、それぞれが動いている様を断片的に描いているため、更にややこしくなるのだ。
上記の警察の無能さも、警察上層部に沢木の関係者がいて事実隠蔽の片棒を担いでいるという可能性を考慮すれば、伏線たりうるのだから始末が悪い。
どうしてこうも分かりにくいのか?
それは、『アギト』がマルチサイト的な描写をされているからだ。
『マルチサイト』というのは、『DESIRE 〜背徳の螺旋〜』や『EVE 〜burst error〜』などの18禁ゲームで使われた手法で、別々の事件を追っている2人の主人公の物語が交互に描写され、やがて1つの事件として収束していく作劇法のことだ。
それぞれ1人称で語られているため、
一方の主人公の知らないことをプレイヤーは知っている(もう一方の主人公が知っているため)
という状況を作りやすく、その状況自体をフェイクとして演出に利用できる。
前述の『EVE』では
2人の主人公が追っているある人物が、実は別人だった
という通常の作劇ではあり得ない効果を生んでいる。
簡単に説明すると、一方の主人公が追っている犯罪者Aと同じ名前の男が、もう一方の主人公にイリーガルな依頼をしているのだ。
プレイヤーは、当然その男がAだと思うわけだが、実はAになりすました別人A'で、後にA'が殺したAの死体が発見される。
こういった手法は、通常の3人称視点ではフェイクとして成り立たないし、1人称ならそもそも不可能だ。
これが多重1人称構成である『マルチサイト』の利点なのだ。
また、演出の都合で明かすことのできない伏線を、もう一方の主人公の物語に絡めることで、さりげなく見せておけるという利点もある。
主人公を取り巻く状況の簡単な描写を装って、もう1人の主人公のシナリオで重大な意味を持つ事件を描いておくのだ。
巧く使えばあっと驚くどんでん返しが可能な手法だが、反面、“辻褄が合わなくなりやすい”という欠点も持っている。
これは、1つの事象を複数の目から描いているため、描写に齟齬が出やすく、シナリオライターがうっかりすると矛盾が生じてしまうということだ。
『アギト』に話を戻すと
・ アギト・ギルス誕生の謎
・ 謎の青年やアンノウンの正体と目的
・ 沢木やあかつき号乗客の目的
などが交錯し、それがやがて1つの結末へと収束していくという形を取りたいらしい。
スタッフ側としては、こうやってバラバラのピースを散りばめておいて、どこかで一気呵成にパズルを組み上げてしまおうという意図があるようだ。
ここまで振りまいたカケラを、突然筋が通るように並べて見せたとしたら、これはもう快挙だ。
それまではアンノウンのデザインや戦闘シーンで興味を引き続けておこうとしている、というのなら、今のアギトのストーリー進行は実に合理的だと言える。
事実、ここまですれ違い状態で孤独な戦いを強いられてきたギルスは、ジャッカル怪人(スケロス・ファルクス)と戦うところを目撃され、アギトやG3に牙をむいたことで、“人類に敵対し、アンノウンとも敵対する謎の怪人”という立場に立つことになった。
もしかすると、日本語を話したことで、さらに警察側の物議を醸す存在になるかもしれない。
こうなると、「今までギルスをアギトやG3と絡ませなかったのは、このためでした」と言われても納得するしかない。
このように、欠点だと思われていたことが、演出上で巧く使われることでちっとも欠点ではなく、遠大な状況操作だったということにもなりかねないのだ。
『アギト』の場合、いくつあるか分からないほど不明瞭な謎が多いわけだが、それらのうちの7割くらいが遠大なネタに昇華すれば、“序盤戦の滑り出しがもたついた”とはいえ、十分にペイするだけのボルテージが得られるはずなのだ。
多分スタッフとしてもそういった狙いがあると思う。
だが、それには大きな問題がある。
このような展開をするには、寄せ木細工のような精密さが必要不可欠なのだが、描写に矛盾が起きてしまっているのだ。
『アギト』の場合、先のとおり、アンノウンや沢木、あかつき号の面々までもが勝手に動いているため、物語は、主人公3人の視点だけではなく、様々な視点から少しずつ描写される。
大抵のテレビ番組では、これほどまでに視点を増やしたりしない。
そのために、ある視点で描写したこととほかの視点で描写したことの辻褄が合わなくなることがある。
例えば、ヘビ怪人オス・メス(アングィス・マスクルス、アングィス・フェミネウス)や白青甲冑のシマウマ怪人(エクウス・ディエス)が死んだことを視聴者は知っている。
だが、マスクルスやディエスを倒したギルスは、この時点では警察にもアギトにも認識されていなかった。
ギルスが警察の目の前に現れたのはアギト捕獲作戦(17話)が初めてのことであり、アギトの前には21話で初めての対面となっている。
更に、フェミネウスに至っては、青年(当時少年)が殺したわけで、ほかの誰1人としてその死を知らないのだ。
にもかかわらず、警察はこの3体への警戒を全く行っていない。
新たな怪人が現れたからと言って、3体の脅威が去ったということにはならないはずなのに、だ。
こうして明らかなミスが発見されると、翔一の戸籍・免許問題にしても、沢木が青年のところに入り浸っていることにしても、何らかの裏がある伏線なのか、単なる描写上のミスなのかの判断がつかない。
これが、先程『いらないピースまで混じっている』と書いた理由だ。
もう1つ、困ったことがある。
それは“情報の1人歩き”だ。
例えば、番組開始直後くらいから、
アンノウンは、動物のモデルになった存在であり、ジャガーロードはヒョウに似ているのではなく、ヒョウがジャガーロードに似せて作られたのだ
という噂が流れたことがある。
鷹羽は、この話を公式に発表された信頼性の高い情報として聞いていた(信じたくはなかったが)。
だが、最近某雑誌に掲載されたデザイナー:出渕裕氏の話によると、『そういうくらいのつもりでデザインした』とのことだった。
また、アンノウンの肩胛骨の後ろにある羽状の突起は、前記のイメージから、出渕氏がつけたものに過ぎないという。
アンノウンのデザインについては、「ふんどしはやめてくれ」以上のことは特に言われていなかった旨の発言もあった。
出渕氏の発言内容から察するに、出渕氏自身、アンノウンの正体の設定そのものは知らないと考えてよさそうだ。
つまり、“アンノウン=天使”という、ひところ流行った説には裏付けがまったくないことになる。
もちろん、違うという保証もないから、結局“正体不明”という結論に収まるしかなさそうなのだが。
また
ギルスは、完全体になるためにアギトをつけ狙う
というまことしやかな噂も流れており、「いつになったらアギトを襲うんだ!?」という意見もあったようだが、蓋を開けてみれば「亜紀の仇!」でしかなかった。
鷹羽的には、その方が説得力があっていいと思う。
第一、涼は自分がどうしてギルスに変身できるようになったのかが分かっていないわけで、“自分が完全体になるためにアギトを襲う”などという発想は、誰かがそそのかさない限りあり得ない。
そもそも、涼は「ギルス」なんて名前は知らないし、「アギト」や「アンノウン」という言葉も知らないのだ!
もっと言ってしまえば、「ギルス」という名前を口にしたのは謎の青年だけであり、マーチャン的な部分を度外視すれば“「ギルス」というのは固有名詞ではない”という場合すらあり得る。
つまり、“「ギルス」というのは「なり損ない」という意味の一般名詞”とも取れてしまうということだ。
ま、「カンガルー」の前例もあるから、あの狂暴な怪人を「ギルス」と呼んでも問題はないのだけど…。
「ギルスフィーラー」、「ギルスクロウ」、「ギルスヒールクロウ」、「ギルスレイダー」などという名前は、もしかしたら視聴者以外誰も知らない名前かもしれない。
これは、簡単に言ってしまえば“事前情報を鵜呑みにしてはいけない”ということだ。
正式に発表された公式設定、或いは本編中で語られた設定以外は、信じない方がいい。
マシントルネイダーのスライダーモードから放たれるライダーブレイクの設定を聞いた人は、みんな上空からの急降下キックを想像した。
だが、実際には、地面すれすれを滑空して勢いをつけ、飛び出してキックするだけだった。
あれに失望した人は多かったらしいが、実はテレビ朝日の公式HPを見ると、「滑空する」としか書いていない。
確かに嘘はついていない。
現在、“ギルスレイダーは生体マシン”だという情報に期待している人も多いようだが、あまり期待しない方がいい。
これもまた公式サイトで見る限りは明らかにされていないからだ。
本編中での扱われ方を見る限り、涼が変身するときにバイクに乗っていると同時に変身しているだけにしか感じられないから、やはりあっさり信じない方がいいだろう。
『アギト』では、監督はじめ、モンスターデザインなど各パートを受け持つスタッフが、それぞれ必要最小限の情報しか与えられていないとも聞く。
妙に刹那的な演出が多いのも、それなら頷けるし、だとすれば、監督達は意図しないままにフェイクの片棒を担いでいるという可能性すらあるわけだ。
全体像を把握しているのが僅かなスタッフなのだとしたら、事前に入手した情報を頭から信じてかからない方が無難ではないだろうか。
あくまで自分の目でオンエアを見て気付いたこと、感じたことを元に状況を理解することが必要なのだ。
結果的に、雑誌情報や裏情報の恩恵を放棄することになりかねないが、騙されないで真実を見極めるためには、その方がいいと鷹羽は思う。
裏付けとして公式設定を追うのはいいが、それに溺れても仕方がない。
この習慣鷹羽では、そういう態度で番組を見ているつもりだ。
『あらゆる偏見を排除して、ただ事実を事実として直視する』…今、『アギト』を見る上で必要なのは、この信念ではないだろうか。