この話、見覚えがあるような |
ルイルイ |
更新日:2006年12月24日
例えば、ジューン・ブライドでお馴染みの六月=ジューンは、ギリシャ神話で全知全能の神ゼウスの妻ヘラ…ローマ神話のユノ(juno)に由来しているのは、有名な話。
ヘラは結婚を司る女神で、彼女の祝福を受けた六月の花嫁は、幸せになれるという言い伝えがある。
ちなみにギリシャ神話で、結婚の女神に相当するのは「ジュノー」であり、ヘラとは別物、とする見方もある。
昔「ビット・ザ・キューピッド」というアニメで、ヘラがど偉いヒステリックなオバハンに描かれていたので、それに近いイメージがついている人もいるのではなかろうか。
確かに、あのオバハンを見ていると彼女が「結婚の女神」と言われても「嘘だ〜」と感じる人の方が、多いような気がする(汗)。
それと、オリンピック。
ギリシャ神話の栄えた紀元前に、ヨーロッパにあるオリンピアという地方で始まった競技会が存在した。
これが「古代オリンピック」と呼ばれるもので、現在のオリンピックの原型になったと言われるものだ。
他にも「エディプスコンプレックス」や「ナルシスト」「タイタニック」…外来語のいくつかは、こうした神話がベースになっているものが、結構ある。
現在でも、神話や伝承から由来する名前は多く、元ネタを知っていると「こんな狙いもあったのか」なんて思ったりして、ちょっとオトクな気分になったりする。
名前の他にも、物語の流れや結末などで類似するものは数多くあり、その歴史をたどっていくと、古い神話などがベースになっていることが解るだろう。
鷹羽さん執筆のネーミングの話……その類似でルイルイバージョン(え)として、今回は神話や伝承に的を絞って、書いていきたい。
前述した「ビット・ザ・キューピッド(以下ビット)」では、登場人物や基本ストーリーがギリシャ神話をベースにしているのだが、オリュンポス十二神にマルスとビーナス(両者ともローマ神話の神)か混じっていたり、ハデスとゼウスに血縁関係がなかったり(神話では二人とも兄弟)、神話での悲劇が「良い話」に改変されているため、これを鵜呑みにすると、ギリシャ神話ファンから笑われる。
さすがに、ギリシャ神話を元にした作品をビットしか知らない、という人はなかなかいないと思うけど。
基本的にはギリシャ神話を元にしたオリジナルストーリーなのだが、実は神話に忠実なキャラ設定は、きっちり盛り込んでいたりする。
例えば、全知全能の神ゼウス。
彼は雷を司り、天界を支配し、巨人が現れればその怪力で岩を放り投げ、敵を押しつぶす。
そして、非常に好色で、美人を見つけると人妻だろうが未成年の少女だろうが男だろうが(!)手当たり次第にアタックし、恋のアバンチュールを楽しむのだ。
ちなみにゼウスは、結婚の女神を妻にしておきながら浮気性なので、常にヘラの目に怯えながら恋愛をしている。
彼は一人の女性で満足できない、非常にハングリーな神だったらしい。
その奥さんであるヘラも、恐ろしい神様で、簡単に言うと嫉妬の権化。
始終夫の浮気に目を光らせており、彼女に殺された人間は、両手の指でも足りないほどだ。
「ビッド」ではさすがに殺戮云々は描かれていなかったが「あなたーーーー!!」と叫びながら怒りマーク引っさげ、魔法を振り回すオバハンのインパクトは、そりゃもう強烈だった。
お陰で私は、未だに「ヘラ」と言われて一番最初に思い出すのが、あの大女優:野際陽…とある大女優を思わせる、年配の女神だったりする。
「ビット」の物語は、へパイストスの機械によって生まれたキューピッドビットが、妖精のトゥインカと共に神々のドタバタに巻き込まれる話である。
触れた物全てを金に変えるミダス王の話や、永遠に巨大な岩を運びつづけなければならないシシュポスの業、メドゥーサ退治など、どれも有名なエピソードを中心に作られている。
もっとも、ミダス王の話は全体的にギャグチックだし、シシュポスの話も、最後は晴れやかなオチがついている。
メドゥーサ退治と言えば「ピグマリオ」て漫画もありましたな。
「ピグマリオ」も、ギリシャ神話に登場する人物の名前なのだけど。
最近の例で上げるなら、香取真吾主演で話題になったフジテレビの「西遊記」。
この第七巻「幽霊の国」では、悟空が死者の国へ行くためにわざと命を落とし、冥界へ行って人々を救おうとする。
しかし、冥界から地上に戻るためには、例え何があっても後ろを振り向いてはならないという制約があった。
幽霊達は悟空を闇に引き込むため、旅の仲間である三蔵、八戒、悟浄に化け、悟空に後ろを振り向かせようとする。
悟空はその誘惑を振り切り、地上へと生還を果たすのだ。
さて、この話を見てピンと来た人もいるだろう。
そう、最近何かと話題になっている「冥王ハーデス十二宮編」に登場する白銀聖闘士オルフェの話と、設定がまるっきり一緒なのだ。
というか、両方ともギリシャ神話が元になってるからなんだけど。
星矢の話の元にもなった、吟遊詩人オルフェウスについて、話をしておこう。
彼は星に祝福された鎧を着て、冥王ハデスに媚を売り、愛器のハープの弦を使って邪な者を倒すなどという闘志溢れる野郎ではない。
親交深く音楽を愛し、時には冒険にもついていっちゃったりする、好奇心旺盛な美形の若者である。
彼には愛する妻エウリュディケというニンフ(精霊の仲間)がいたのだが、彼女が毒蛇に噛まれ、若くして死んでしまう。
その死を嘆いたオルフェウスは、妻を返してもらおうと、竪琴一つ小脇に抱え、冥界へと向かうのだ。
彼は優れた音楽家だったので、地獄の橋渡しカロンや、番犬ケルベロスもその竪琴の音色に聴き惚れ、生きたまま冥界の奥底へ入ることを許される。
そこで冥王ハデスとその妻ペルセポネに、自慢の竪琴と、妻を失った悲しみ、神を信仰する思いなどを切々と語り、妻を返して貰うように懇願するのだ。
ペルセポネはそのオルフェウスの訴えに同情し、彼と一緒になってハデスに頼み込む。
ハデスは仕方なく、特例としてエウリュディケの生還を認めるが、それには条件があった。
「オルフェウスは常に妻の前を歩き、地上に出るまで、けして後ろを振り向かないように」
オルフェウスは諸手を振って喜び、妻の魂と共に地上へと突き進む。
が、彼は唐突に不安になった。
妻は何も答えてはくれず、本当についてきているのかどうかも解らない。
しかも、ハデスは嫌々ながら承知した様子だった。
もしかして、騙されているのでは?と不安になり、振り向いた瞬間、妻の姿は闇へと消えてしまった。
オルフェウスは、妻の救出に失敗したのだ。
オルフェウスは再度、妻の奪還を試みたが、ハデスが二度目のチャンスを与えることはなかった。
この話には「ハデスもオルフェウスの竪琴に涙を流し、快く条件付の生還を許した」とも、「地上についたと思い振り向いたら、エウリュディケの足が半歩冥界にあった」とも言われている。
多少の差異はあるが、基本的には「妻を亡くした吟遊詩人が、冥界へ渡るが、妻に振り向いたために奪還に失敗する」という話で纏まっている。
「太陽だと思ったら実は違った」というパターンは、一つしか見たことが無いが。
車田正美は「星矢」以外の作品にも、ギリシャ神話ネタを盛り込んでいる。
「リングにかけろ」でも、まんま「ギリシア十二神編」なんてのがあるくらいだ。
イカルス、オルフェウス、テセウス、ハデス、ポセイドン、ゼウス…見事にギリシャ神話の英雄や神の名前が、そのまま用いられている。
「後ろを向いちゃいけないよ」の類は、実は古事記・日本書紀にもある。
こちらは「鶴の恩返し」の方が結末は近いのだが、イザナギとイザナミの話を聞いたことはあるだろうか。
男神イザナギと女神イザナミは、国を作り、それを支配するために次々と子を作った。
しかしイザナミは、火の神を出産した際に火傷を負い、それが元で命を落としてしまう。
イザナギは死者の国へと向かい、壁越しにイザナミと再会する。
「イザナギ、どうしてもう少し早く来てくれなかったの。私は黄泉の物を食したから、もう黄泉の住人になってしまった。でも、来てくれて嬉しいわ。死者の国を出られるかどうか、伺いを立ててくるから待っていて。それまで、けして私の姿を見ないでね」
イザナギはしばらく待っていたのだが、愛しい妻の姿を早く見たいため、ついイザナミの姿を覗いてしまう。
しかし、イザナミの姿はかつてとは違い、ウジが集り、身体が腐っておぞましい姿になっていた。
イザナミはそれに気付くと、約束を破った夫を追いかけ、その命を奪おうとする。
イザナギは何とか逃げ切り、地上にたどり着くと、死者の国の入り口を、石で硬く閉ざしてしまった。
どちらも「約束を破った」ことにより「妻を永久に失う」という話は共通している。
まぁ、悲劇性はオルフェウスの方が、断然高いのだけど。
「西遊記」の放送を見たとき、私は「なんでオルフェウス?」と思ったが、冥界から生還する試練として、絵的にも条件的にも面白いのがオルフェウスの生還劇、というのが理由だろう。
妻への愛で、約束を一方的に破ってしまったイザナギと、不安にかられて妻に振り向いてしまったオルフェウス。
どちらが可哀想かと問われれば、なんとなく軟弱者(?)な雰囲気の漂う、人間のオルフェウスの方だから…とも、思うのだが。
後ろから「待〜て〜!」と言いながら、ゾンビが追ってくるのも、それはそれで面白いと思うわけですよ。
特に、ドタバタアクション劇を押し出していた「西遊記」なら、尚更。
そういう意味で、放送を見たときに、私はちょっと驚いた。
しかもこのオルフェウス、神話の初期バージョンでは、無事に妻を奪還して戻ってきたという説まであるもんだから、報われない。
何でも、初期の頃は「芸は身を助ける」という話でめでたしめでたしだったのが、一部の作家によって「振り向いて失敗」の結末が付け加えられたため、こっちの方が有名になってしまったのだという。
ついでに、元締にこんなお話を教えてもらったのでこちらも。
聖書に記されている「ソドムとゴモラ」。
ソドムの住民は非常に乱れた生活を送っており、そこで頭を悩ませていたロトが、この悲劇の主役である。
ある時、このロトの元に二人の旅人が現れた。
実はこの二人、神の代弁者ヤハウェの部下である天使達が、人間に変じた姿なのだ。
ソドムにロトの家族以外、まともな人間がいないと解ると「神がソドムを滅ぼすから、お前の家族にそれを告げて山へ逃げろ」と言った。
ロトは言われたとおりに、嫁入り前の娘二人と妻にそれを伝えたものの「今から山まで逃げるのは無理なんで、せめて難易度下げてください」とお願いするのである。
そして、ヤハウェは頷いたものの、条件を出した。
「後ろを振り返って見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山に逃れよ。でなければ滅びる」
この条件を知りながら、燃え盛るソドムを振り返ったのはロトの妻だった。
彼女は焼けて塩の柱になり、現在の「死海」南方に、今も立っているのだと言う。
ロトの妻が、何故ソドムを振り返ったのかは詳しく記されていない。
だが、一説には「ソドムに置いてきた自分の財産が恋しかった」というのがあり、なかなか興味深い。
ギリシャ神話のハデスは、冥界の主として有名であるが、実はキリスト教の信仰が広がってから、悪魔の一種になると同時に億万長者の神様としても名を馳せたのだ。
なんでも、彼の管轄である地底(冥界)を掘ると、鉱物や宝石、その他重要な資源などが出てくるため、それがハデスの所有物、ハデスの恵みであるという解釈があったらしい。
財宝や欲に目が眩み不安で背後を振り向くと、命を落としかねないという解釈は、オルフェウスと共通している。
なぜ遠く離れた日本と、西洋の神話がこんなにも酷似しているのか。
私は歴史学者ではないので断言は出来ないが、一説には「元は全部同じお話だった説」というのがある。
ギリシャ神話でも、今は冥界の王=ハデスというイメージが強いが、古い神話では彼の妻ペルセポネが冥界神として力を振るっていたのだと言う。
それが、時代と共に男性神に移り変わり、ペルセポネの活躍はハデスにすり返られた。
この説が本当だとすれば、オルフェウスの物語はイザナギ・イザナミの物語同様、地底の女主人が男性を危機に陥れるという部分まで共通してくる。
確かに、日本の太陽神アマテラス大御神も、ギリシャ神話のデメテル同様、農耕を司る尊い神である。
大地=女性という認識が共通しているのは、偶然にしては出来すぎだ。
島国の日本と、ヨーロッパの大陸。
どちらが先に生まれた、というのはさすがに解らないが、なかなか説得力のある説ではある。
この三者の悲劇に共通しているのは「神との約束を破った罰」だ。
逆に約束を守れば、神々は決して罰を与えたりはしない。
後ろを振り向いたロトの妻以外(ロトと娘二人)は落ち延びたとされているし、ギリシャ神話でも、冥界に下りて無事に生還した英雄にヘラクレスがいる。
彼は地上の王の命令により、冥界の番犬ケルベロスを地上に連れてくるよう言われていたのだが、その時ハデスが出した条件はただ一つ「素手で捕まえるならOK」というものだった。
ヘラクレスはケルベロスを羽交い絞めにすると、そのまま地上へ連れ帰ったと言う。
そして後日、ケルベロスは冥界へと返却された。
夜、街灯のある道を一人で歩く。
だが、背後から足音が近づいており、自分が止まると足音も立ち止まり、自分が走ると相手も走る。
恐る恐る振り向くと……
こんな怪談話は、今でも時々見かける。
相手がメリーさんであったり花子さんであったり、グラサン・マスクに野球帽でナイフ装備であったり、パターンは様々だが「ドキッとする演出」という意味で、この「後ろを振り向く恐いお話」というのは、今でも現役だ。
オルフェウスにイザナギ、ロトの妻など、どれが一番古いのかは解らないが、それぞれの結果を見比べれば、恐らく「元ネタ」はハッキリとするだろう。
振り返ったら好きな人。
振り返ったらモンスター。
振り返ったら即死。
こうしてパターン別に分類してみると、最近の作品の中にも、何か新しい発見があるかもしれない。
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