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 数年前の話になります。

 東京都内・某B区のアパートを借りたのですが、このアパートの様子がかなり変な場所でした。
 築年数はそんなに古くなく、ちょっと日当たりが悪いもののそんなにひどい環境ではありません。
 ただ、ちょっと水はけが悪かったり、木造のせいかたまにきしみが聞こえてくる事がありました。
 住み始めて三ヶ月ほどは何もなかったのですが、ある日、友人(女性)が泊りがけで遊びに来た時、ふとこんな事を話していきました。

 実は、この時の彼女の言葉と態度がきっかけで、その後、私達は袂を分かつ事になるのですが。

 彼女が言うには、「猫の鳴き声のようなものが聞こえる」との事。
 それはどうも彼女にしか聞こえないようで、しかも、忘れた頃に近くから聞こえてくる感じだそうです。
 ですが、私にはまったく聞こえません。
 そのアパートはペット禁止です。
 でも、彼女は確かに聞こえると断言します。
 私はそういう不気味な話がニガテなので、何度も「やめて」とお願いしました。
 もちろん彼女もわかってくれたのですが、それでも、声が聞こえたらしい時に、顔を上げたりするため、私にも「あ、今聞こえたんだ」というのがわかってしまいます。
 結局、その晩は私達が寝る頃まで何度となく聞こえたようで、布団に入ってからも、たまに「あっ」とか声を漏らしていました。
 だんだん腹が立ってきた私は、つい「もう、これ以上脅かすんなら、部屋に呼ばないよ!」と怒鳴って、無理矢理眠りました。

 翌朝、起きて来た友人がの顔色が悪いのです。
 夕べつい怒鳴ってしまったという事もあって、謝るついでにどうしたのかを聞きました。
 どうも、彼女はまともに寝られなかったそうです。
 ずっと声が聞こえ続けていて、気になって仕方なかったので。
 ただ、友人は何かを言いかけて止めてしまいました。
 追求しても答えてくれなくて、その日は結局、そのまま解散してしまいました。
 この時点では、相変わらず猫の鳴き声など聞こえてはいませんでした。

 ところが、それから一週間くらい経った日の夜、突然、私にも猫の鳴き声が聞こえてきました。
 それは、まるでどこかに閉じ込められ、餌を与えられないで何日も放置され、死にかけているような弱々しいものでした。
 この頃には、あの友人の話もほとんど忘れかけていたので、あまり深く考えず、素直に猫の居所を捜してしまいました。

 声は、隣の部屋…寝室に使っている部屋の押入れの奥から聞こえてきます。
 壁の向こうから、かすかに…ニィニィとか、キィキィという感じで、聞こえます。
 最初は、お隣の部屋に猫が居るのではないかと思いました。
 ひょっとしたら、お隣がこっそり猫を飼っていて、餌をやらないで出かけてしまったのかと思ったのですが、よく考えると、隣はもうずっと前から空き室。
 私は、大家さんに電話で事情を説明して、隣の部屋を調べてもらえるようお願いしました。

 さらに数日経ち、最初に話した友人を再び呼ぼうと思い、電話をしてみました。
 ところが、友人は色々と理由をつけて、遊びに来ようとしません。
 何か問題があるのかと追求したところ、この前の猫の鳴き声の話になりました。
 それで、彼女は、あの晩にあった「本当の事」を説明してくれたのです。


 実はあの晩、彼女が寝付きそうになった頃、すでに鳴き声は「猫のような」ものではなくなっていたんだそうです。
 よく聞くとそれは、かん高いうめき声。
 苦しそうな女性の声だったそうです。
 それが掠れるくらい小さなものだった時は、猫のように聞こえたらしいのです。
 押入れの方から聞こえてくるその声は、どんどん大きくなってきて、彼女は怖くて布団に潜り込んだそうです。

 しばらくして、声が途絶えました。
 友人は、布団の隙間から、声が聞こえていた方を見てみたそうです。


 目が合いました。
 女性と。

 押入れの襖が開いており、その隙間から、逆さまにした頭だけを出した女性が、じっとこちらを見ていたそうです。
 寝ている訳ですから、部屋は暗い筈なのに、なぜかはっきり見えたようなのですが、その女性の顔が、あまりにも気味悪かったそうです。

 左目が、本来あるべき位置からかなり額の方にずれていて、白目を剥いており、右目だけでじっと見つめているのですが、白目の部分がなく、目玉全体が黒いのです。
 また、髪の毛が半分くらい抜けており、それが逆立っているので、とても不気味で正視できなかったそうです。
 年齢なども、まったく見当が付かなかったと言っていました。

 悲鳴を上げる事ができないくらい怖くて、とにかく、ずっと布団の中でうろ覚えのお経を唱えていたらしいのですが、なぜか布団越しに、その女性がじっとこちらを見つめているのがわかったそうです。

 友人は、最初に私の部屋に入った時から異様な雰囲気を感じていたらしくて、気を遣って一切話さないつもりだったそうですが、私は思わず「どうしてもっと早く言ってくれなかったの!」と怒鳴ってしまいました。
 だって、一人になった時に教えられたら、直接報告されるより何倍も怖いじゃないですか!
 もちろん、電話の最中もあの声は聞こえてきます。
 私は怒って電話を切って、その日は家の中の用事を手早く済ませ、別な友人の家に泊まる事を決めました。

 着替えが置かれているのが寝室に使っている部屋だったので、襖を嫌でも見なければなりません。
 すると、いつのまにか、襖が開いていたのです。
 その隙間から、口で言えないくらいの不気味な空気が漂って来ていました。
 荷物を取るために、どうしてもその隙間の近くに行かなければならないので、私は、なるべくすぐ立ち去れるような姿勢で、タンスを開けました。

 その時、突然肩がズシッと重くなり、すぐ耳元で、女性のうめき声が聞こえました。

 多分、タンスを開けてから十秒もなかったと思います。
 まるで待ち伏せしていたかのように、「何か」が乗っかったのです。
 「何か」は、私の耳元でうめき声を立て続けます。
 私は、もう一歩を動けなくなり、そのままじっとするしかありませんでした。
 そして、しばらく経って、その今までうめき声だと思っていたものが、うめき声ではなかった事に気付きました。


 目がイタイ 目がイタイ

 目が欲しい 目が

 死んでイタイの 死んで殺して

 死んでイタイ

 欲しい


 死んで欲しい


 ずっと、そんな感じで繰り返しているのです。

 私はそのまま気絶してしまったみたいで、気が付いた時にはすでに五時間ほど経っていて、とても外出できる時間ではありませんでした。
 肩の「何か」は、結局はっきり見る事はできませんでした。
 襖はまだ開きっ放しでした。
 私はその晩、毛布を隣の部屋に持ち出し、部屋を仕切る戸の前にテーブルなどを移動させて封をして、電気を点けたまま眠る事にしました。
 それでもあの声は、隣の部屋からずっと聞こえ続けていました。


 そのまま、朝を迎えられれば良かったのですが、そうはいきませんでした。
 その「声の主」は、封された戸を通り抜け、寝ている私の傍にやってきました。
 さっきの、あの言葉で、起こされたのです!
 毛布を頭から被って横になっていたのですが、天井を向いている左耳の方に、毛布越しに声が聞こえます。


 死んでイタイの 死んで殺して

 死んでイタイ


 欲しい死んで欲しい


 壊れたレコードみたいに繰り返され、私はもう気絶も出来ず、そのまま朝まで我慢し続けるしかありませんでした。
 気が狂いそうでした。


 翌日、大家さんに事情を説明し、昔この部屋に何かなかったか尋ねましたが、話をはぐらかされるだけで結局何もわからず、不動産屋も、何も知らない聞いていないと言うばかりでした。
 結局、もうこの部屋には居たくなかったので、複数の友人の家を転々として、お金が貯まったらすぐに引越しましたが、それまで物置代わりにしていた部屋は、どんなに閉めても必ず襖が開いていました。


 今でも、そのアパートと部屋は健在です。
 あらためて外から見ると、なんでこんな不気味な所に住めたんだろう、という気すらしてしまいます。
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