終末の過ごし方 〜The world is drawing to an W/end〜
この週末、世界は終わる。その時をどう迎えますか?
1.メーカー名:アボガドパワーズ
2.ジャンル:ノベル型ADV
3.ストーリー完成度:B
4.H度:B
5.オススメ度:A
6.攻略難易度:D
世界が終焉の時を迎えるまでの1週間。ちょっと想像もできないような異常なシチュエーションだ。
この作品では、どんな理由でかは知らないが1週間後に終わると予告された世界を舞台に、最後の1週間を淡々と過ごす人々が、映画かテレビのシナリオのように描かれている。
冒頭で、主な登場人物達が日々を過ごす様を簡単に映し出した後、ラジオのDJが、今現在の作品世界の状況を語ってくれる。
終末が発表されたのが7週間前であること、既にパニックもある程度沈静化していること、今でも都市部では暴動が起きている所もあること、電話や警察機構、電気、ガス、水道など、社会のシステムが半分死にかけた世界であることなどが、彼によって語られる。
登場人物中で、彼のラジオ番組を聞いている者はいない。
彼は狂言回しであり、この作品のストーリーテラーの役を与えられているのだ。
主な登場人物は、それぞれの人生を惰性によって生きている人々がほとんどであり、はっきり言って、彼がいないと世界観がまったく掴めないのだ。
彼(と番組スタッフ)は、この作品中唯一、徹頭徹尾能動的に終末を迎えようとしている人物で、誰も聞いていないかもしれないラジオ番組を、地下に潜ってありったけの機材を使って音楽を流し、語り続ける。
主人公達が住む町は割と平和なので、DJだけが世界の終わりを感じさせてくれるのだ。
残された時間を精一杯使って、思い残すことのないよう曲をかけ続ける。
残った時間何をして良いのか判らず、日常を装う人々と対比され、なかなかいい味を出している。
この作品は、文章として、シナリオとして考えると、大したことはない。
終末をもたらすものが何なのかは語られないし、もうパニックも過ぎ去っていて、暴動も世界のどこかで起こっているかもしれない程度の他人事だ。
生き延びようと必死になる人もほとんど描かれてはいない。
ガン患者が、助からないと判った後に平静になるのと同じと作中で称されているように、いわば余生に入ってしまった人達しかいない。
また画面も、ザッピングのようにコロコロと切り替わり、登場人物達の過ごし方を断片的に映し続けるだけだ。
名場面集を流しているような…でも、1つ1つが淡々としていて、抑揚が少ないから、嫌味にならない。
環境映像(なんて言葉があれば、だが)のような柔らかな映像が、雪が積もるように心に積もる。カミングスーンみたいなものだ。
もっとも、こんなカミングスーンで客が来るかは疑問だが。
だが、突然予告された死に対し、自分が何をすればいいのか、その答を求める人達、答を見付けた人達を描くことには成功していると思う。
生き残る望みがない世界で、“最後の瞬間を、好きな人の側で迎える”という、ただそれだけの答を見付け出した人達を。
この作品では、主人公である知裕すらも、映像的な材料の1つに過ぎない。
だからこそ、ヒロインの内千絵子と留希は、知裕ではなく重久や多弘と結ばれる。
千絵子は、かつてただ1人自分の価値を認めてくれた陸上の先生が、ランナーとしての自分を認めてくれたことから、最期の時まで走り続けようとした。
千絵子は、重久によって“走らなくても価値のある自分”を見出し、最期の日を、重久と共に手製のパンを食べて過ごすことができた。
留希は、7年付き合った男との別れた寂しさを紛らわすためでなく、真っ直ぐに気持ちをぶつけてきた多弘の告白を、受け入れることができた。
“明日という日が来ない”ことを知っているが故の、後の心配をしなくてすむ大胆な行動というものが、各キャラにとってプラスに働いている。
大村いろはは、ペースメーカーの入れ替えを拒否し続けることで、元々いつ死んでもおかしくない状態だったから、世界の終焉自体も大したことではなく、逆に『死んだとしても、それは結果』と、心のおもむくままに知裕に抱かれた。
いい子でいることに慣れすぎて、いい子でいることしかできなくなった香織が、最期に取った大胆な行動、親と共にシェルターに入って助かる可能性より、知裕と一緒に死ぬことを選んだエンディングでの、知裕の「…週末さぁ…空いてる?」という誘いは、正にこの作品を象徴するものだと思う。
そしてまた、多弘の告白を受け入れた留希は、「せっかくの週末…愉しみましょ?」と言い、DJは最期に、『C
U (See You) Next Week!』と言う。来週などまずあり得ないのに。
希望があるかないかではなく、誰もが、自棄にならずに済む、幸せな最後の週末を過ごそうとしているのだ。
本当に世界が滅んだのかどうかはわからない。
でも彼らは、たとえいつ滅んでも構わないくらい幸せだ。
だからこそ、エンディングは穏やかなままに過ぎていく。
『ごきげんよう、さようなら。 −良い終末を』
(鷹羽飛鳥)