Septem Charm まじかるカナン
カー○キャプ○ーさ○らモドキ(ドキドキ:編集部)の魔法少女、ここに登場!
…って、褒めてんの? それ?
1.メーカー名:テリオス
2.ジャンル:ADV
3.ストーリー完成度:B
4.H度:D
5.オススメ度:B’
6.攻略難易度:A
7.その他:困ったことにメインシナリオでは、ちはやとナツキの間に愛なんてないのだ…。
(ストーリー)
魔法の国エヴァ・グリーンから、盗まれた“種”を追ってこの世界にやってきたナツキは、敵の返り討ちに遭い、倒れているところをちはやという少女に救われた。
そして幸運なことに、ちはやは“種”奪回になくてはならない魔法戦士に変身できる素質を持っていたのだ。
魔法戦士カーマインとなって、人間に憑依した“種”を浄化するちはや。
しかし、この事件の裏には、隠された真実があった。
“種”を盗み出したベルガモットは、かつて相棒だった魔法戦士との間に産まれた娘・ちはやの命を守るために、エヴァ・グリーンの人間の幼生体である“種”に人体改造を施し、非情な作戦を行っていたのだ…。
PC-98でゲームが乱立していた、「古き良き時代」とでも言うべき時期を彷彿とさせるゲームだ。
“18禁パソゲーだから”というエクスキューズがあるからこそ許される、妙なノリがふんだんに見られる。
「どこが?」と言われるとちょっと説明しにくいのだが、下品なのに妙に親しみやすくて笑える、そういう部分がある。
例えば、『まじかるカーマイン』のエピローグでは、キスを求めてくるちはやに対し、ナツキが「さっきまでフェラチオしていたことも気になるが、そんなことは後回しである」なんて考える。
結局のところ、ナツキが心配しているのは、“キスしたら、ちはやはカーマインに変身してしまう”ということなのだが、だったら、「さっきまでフェラチオ…」などと考える必要はないのだ。
でも、確かにそういうのは気になるから、なんか笑えるのだ。
露骨すぎない“下品さ・いやらしさ”というのが、このゲームの特徴なのだ。
しゃべるゲームの宿命的な欠点であるシナリオのボリューム不足も、CD-ROMの2枚組にすることである程度クリアしている。
メインシナリオ終了後に現れる他のヒロインのシナリオやおまけシナリオ、それらを終了して初めて行ける、恐らくトゥルーエンドである『まじかるカーマイン』編など、各ストーリーを短く、その分シナリオ分岐を多くすることでボリュームを増している。
また、おまけシナリオAの中で、セルリアンブルーの胸の紋章が魔星陣(六芒星)でない理由や、ナツキより遙かに強い力を持っているはずのハヅナがどうして活躍できないのかを合理的に示し、真冬シナリオの中で、妙子先生が怪しい行動を取っている理由を示したりして、各シナリオ間での相互補完もしている。
特に美由利のシナリオでは、ハッピーエンドがないという(グラフィックが全部開いてるんだから、ないんだろう)珍しい展開もしてくれていて、結構やってて楽しかった。
実のところ鷹羽は、最初にメインシナリオのハッピーエンドである『セプティム・チャーム』が終わった時には、シナリオが薄すぎると思った。
何より、吸収しすぎた魔力の処理のためだけにちはやとナツキがHしたことは、あまりにも情けなく感じた。
この時点で、ナツキとちはやの間には愛があったとは思えなかったからだ。
あくまで2人は戦いのパートナーでしかない。Hしたのは、あくまで魔力を吸収しすぎたことによるリバウンドを防ぐための方法でしかなく、“18禁パソゲーだから”というエクスキューズの上で動いているだけと思えたのだ。
ところが、美由利シナリオをやって状況は一変した。確かにナツキにとってちはやは、パートナーでしかない。
だが、ちはやの方では、変身の度にキスすることによって、ナツキに対して恋心を抱き始めている。
更に、ナツキにとってはキスは「魔法戦士への変身のプロセス」という認識だから、もし美由利に魔法戦士の素質があったらと思うと、怖くてキスできないという妙な状況を生んでいる。
これが発展して、『まじかるカーマイン』になると、ナツキはキスするとカーマインに変身してしまうからと、恋人になったちはやにキスを躊躇うという展開になる。
結局、Hの最中にキスしてしまうとコスチューム付きのカーマインになってしまうというオチなので、最初にカーマインにしてから脱がさないといけないのだが…。
また、ちはやの通う銘鳳学園が、異常な魔力空間であることがメインシナリオ中で語られるが、真冬シナリオで、夏樹(パラレルワールド上のナツキ)が銘鳳学園の周囲に六芒星を作って魔力を集中させていたことがわかる。
つまり、設定はちゃんと徹底しているのだ。これは嬉しい。『まじかるカーマイン』に行くために、一通り他のシナリオをすませておかねばならないのは、このためなのだろう。
また、エヴァ・グリーンの人間にとって、性交が魔力の受け渡しに過ぎないという設定は、極論すると、バンバンやりまくっても妊娠の心配がないということなのだが、だからこそ、ベルガモットと魔法戦士(ちはやのママ)との間に子供が産まれたということは奇跡なわけで、何を犠牲にしても娘を死なせたくないというベルガモットの気持ちがわかるのだ。
たとえ、それが何人もの犠牲の上に成り立つものであったとしても。親のエゴとはそうしたものだと思う。
ベルガモットの作戦は、合理的でケチのつけようがない。
魔法戦士の素質を持つ人間は少ないから、ちはやのいる町でことを起こせば、ちはやが魔法戦士に選ばれる可能性が大きい。
選ばれなかった場合や、魔法戦士になってもセプティムより弱い場合は、セプティムの“超”浄化能力によって浄化できる。
ちはやがセプティムを倒せるほどの力を持てば、魔力の暴走はそもそも起きなくなる。
そして、魔法戦士の能力は、素体となる人間の能力とパートナーの能力とで決まるから、ちはや以外の人間が魔法戦士になっても恐らくセプティムを倒すほどの力はない(実際、美由利シナリオでは、20人以上の魔法戦士が、ベルガモットの部下達に次々倒されている)。
ここまで隙がないと、さすがに現役時代に大活躍した天才戦士は違うね。
ただ、それでもやはり、『セプティム・チャーム』編と『まじかるカーマイン』編の違いが、ナツキが、セプティムの人間界での姿である絵美に感情移入するかどうかにかかっているというのは、ちょっと寂しかった。
絵美に感情移入したのは、別に恋心ってワケでもなかろうに。
(鷹羽飛鳥)