ファイヤーエムブレム

 ファミコンの頃から人気を博している、言わずと知れた任天堂の看板ゲームの一つ。
 ゲームの難度はかなり高いが、凶悪ではないので、がんばればなんとかクリアできる。
 しかし、ユニットが負けるとそのキャラは一番の思い人に向けたセリフを残し死んでしまい、次のステージから使えなくなるので、何度リセットのお世話になったことか。
 しかもスーファミ版は、リセットした回数をきっちりカウントするさりげない“イヤな”機能がついている。
 狙っていたのか偶然なのか、そのおかげで、殺したくない…でもやり直すのは悔しい、というジレンマを与えると同時に、キャラクタへの愛着を生み出すことに成功した。

 ユニットの戦闘は一騎打ちで、「風と大地のページェント」での戦闘はこのスタイルを採用したと考えられる。
 そのまま採用ということはせずに、戦闘画面を切り替えず、全てフィールド上で行うようにすることで差別化を図った。
 でもどうせなら、いっそ戦闘中に特定の場所、特定の人に隣接したときに発生する会話など、キャラクタを強調する方法も取り入れた方がより効果的であっただろうと思うのは私だけだろうか。

 考えてみれば「ファイヤーエムブレム」というゲームは、ハードの性能上全画面CGを使えなかったにもかかわらず、キャラクター人気を得た稀有なソフトだ。
 ファミコンではグラフィックも荒く、説明書のイラストも子供っぽいので、どちらかというとシミュレーション好きの人間が隠れた秀作として推す程度だった。
 ところが、いかしたCMをひっさげて発売されたスーファミ版は、驚くほどに画面に出てくる新規描き起こしの顔、顔、顔…。
 全画面のCGがない以外は、もはやキャラゲーと言っても過言ではないほどの描き込みよう。
 男のプレイヤーならシーダをはじめとする女性陣に、女のプレイヤーなら主人公のマルスよりオグマ、ナバール等の色男系キャラクターに転ぶ可能性は決して少なくない。
 多くの漫画、小説が出されたのもスーファミ版が出てからなので、いかにキャラクター人気が高かったかが伺える。
 それも会話に出てくる顔のグラフィックだけなのに、だ。
 もちろん、キャラクターを支えるだけのストーリーや個々の性格付けの秀逸さに裏打ちされた結果であることは言うまでも無い。
 それにしたってCGを強調するゲームに、ワンカットの顔だけで勝ってしまうのだからある意味いやなゲームだ。

 私はまだ「トラキア」までしか見ていないが、最新作の「ティアリングサーガ」も顔だけなのだろうか?
 これでCGを出された日にゃぁあんた、同じ土俵で比べるのが間違いと解っていても、Hゲーじゃ相当努力しないと太刀打ちできないよ。


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