吸血殲鬼ヴェドゴニア

1.メーカー名:Nitro plus
2.ジャンル:ADV
3.ストーリー完成度:B
4.H度:C(プレイヤーのフェチ度に依存するところ大か?)
5.オススメ度:A
6.攻略難易度:D
7.その他:とりあえずオープニングを観よう。

(ストーリー)
 朝。
 夢から覚めた伊藤惣太(そうた)は、自分の首筋に二つの穴の空いた傷痕がある事に気付く。
 なにより気になるのは、昨日の帰宅途中から目覚めるまでの間の記憶が、すっぱりと抜け落ちている事だ。
 不安に駆られた惣太は、昨日の帰宅ルートを辿ってみる事を思いつき、ほどなく近道である林道に行き着いた。

「…昨日、ここで何かがあった」

 その時、目の前に立ちふさがる人影が…。


 前作「ファントム」とは方向性が異なるために単純に両者を比較する事はできないが、「ヴェドゴニア」は視覚&聴覚に対してダイレクトな趣であり、より男の子向け(笑)な作品といえるだろう。
 「ファントム」を他人に薦めるとなると、「シナリオが秀逸だから」と伝え、疑心暗鬼を抱かせながらも暫くの間、実際に作品をプレイしてもらうしかない。
 だが「ヴェドゴニア」はもっとストレートである。
 オープニングを観てさえもらえば「あ、なんか面白そう」って感じに興味をもってもらえるのだから。

 知名度が上昇中のニトロプラスの方向性としては、理にかなった展開であると思う。
 ゲームショップでデモを流せば間違いなく認知度が上がる訳で、そのために最適化されたフォーマットであるともいえる。
 アニメ作品のオープニングを彷彿させるテンポの良いカット割りをハードロックの曲に乗せ、ボーカルには小野正利を起用。
 完全に18禁ジャンルを超越しているつくりである。

 さて。
 感想文ではなく評論文ともなると、なかなかに厄介である。
 ワシはヴェドゴニアが気に入っているし、人に薦める事もためらわないつもりだ。
 だが、いざ「どこが良いのか?」と問われたら、「演出」という抽象的な回答をする事になると思う。
 「オススメ度」を「A」と書いておきながら無責任なこと甚だしい限りなのだが、作品について文章にしていくと欠点ばかりがすらすらと出てきてしまうのだ。

 マニュアルでシナリオライターの虚淵氏が述べている通り、内容的に特撮作品であり、「仮面ライダー」である。
 全13話という、番組でいう所のきっかり1クールの作品だ。

 毎話の展開は、まずお話しのイントロがあり、続いてオープニング、そして本編に入り「episode xx ○○」とテロップが入る。
 場面が変われば、地名と時刻が表示される。
 これは全部、話題作となった「仮面ライダークウガ」の様式であるそうだ
 「ヴェドゴニア」を特撮作品の観点として徹底考察するのは、造詣の深い九拾八式の強者ライター諸氏にお任せするとして(こら)、まずは軽く持論を「作品世界」という観点で述べさせてもらう。

 「ヴェドゴニア」は特撮作品の欠点をそのまま作品の欠点にしてしまっている。
 まず一話完結のシナリオ展開だが、プレイヤーの疲労感が大きい。
 当たり前だ。
 どんなに良く出来た特撮番組であろうと、全話をマラソン鑑賞すれば、疲れるに決まっている。
 さらにいえば、「ヴェドゴニア」は回を重ねる毎に作品のテンションが高まっていく訳でもないのだ。

 そもそも、特撮番組はスポンサーの意向やら時間枠やらお茶の間のお父さんお母さんのクレームやら、色々なしがらみの中、制作者が折り合いをつけて己のやりたい事を犠牲にしながら成り立っている形態だと思う。
 それをわざわざ自分から足枷を作る事でパロディとしているのだから、色々と問題も生じてくる。

 「ヴェドゴニア」にはキメラ・ヴァンプなる、いわゆる「怪人」が毎話登場するが、どう考えても「仮面ライダーだから」という理由だけで扱われているようにしか思われない。
 軍用の試作品という事だが夜間にしか活動出来ず、小銃弾で頭を打たれれば行動不能となり、心臓が傷つけば死亡してしまう程度の生体兵器にどれだけのアドバンテージがあるというのだろうか。
 仮に実戦投入するにしても使用条件が限られるため、撹乱分子程度の効果しか望めないのでは。
 そもそも自軍の兵士を改造して使うのか、完成品を購入するのかという事になるだろうが、公にすれば世論が許すまい。
 どう考えても負けが込んで正常な思考が出来なくなった国家が、目先の戦果だけを期待する「決戦兵器」としかいいようがないシロモノではないか。

 また「ヴェドゴニア」は、吸血鬼が実在する世界である。
 伝説の怪物の中で、「なぜ吸血鬼だけが存在するのか?」という疑問は置いておくとしても、作品舞台はあくまで日本である。
 この国には「吸血鬼」という怪物が全国規模で分布している伝説はないのだから、ここも何らかのフォローがなければならなかったと思う。

 …と、少しアラを探し始めるとこんな具合である。
 これは「子供だまし」呼ばわりされて然るべきご都合主義を、特撮番組形態のパロディとしてなぞらえた結果だと思う。

 ワシが「ヴェドゴニア」を高く評価する理由は、これだけ荒唐無稽でいい加減な世界観をバックに、演出効果抜群に読ませるストーリーと演出にある。
 その場その場の見せ場をきっちりと作っていく虚淵氏の脚本は、今回も健在。
 惜しむらくは特撮番組形態の為に、プレイヤーの視点はお茶の間の視聴者のそれに近く、主人公への感情移入がややしずらい事だろう。

 さて、シナリオについて触れてみたい。
 「ヴェドゴニア」にはヒロインの数だけエンディングが存在する。ただし、そのエンディングルートのヒロインが、必ずしもそのシナリオ中で上手く描かれているとは言いがたい。
 厳密にいえば、作品世界の人物情報を断片化して、4つのシナリオ中にバラまいた形式といっていい。
 そんな訳でシナリオそのものではなく、キャラ毎にアプローチしてみる事にする。


惣太*
 今回は記憶を消された主人公ではないので、進学上京とはいえ、幼なじみと部活関係しか交友関係がないのは明らかに不自然。
 あと、シナリオの分岐が「弁当を忘れる」とか「部活をサボる」で発生するのも困りモノ。
 主人公に決断を突きつけるようなターニングポイントが、もっと欲しかった。
 これが無い為に感情移入が希薄になり、プレイヤーの惣太に対する意識がクールになってしまっているのだと思う。

 自殺して変身(^^;)する設定も、危機感が希薄である。
 惣太が背負っている宿命は、「人間に戻るためのタイムリミット」だけしか存在しないからだ。
 だからこそ日に日に増大していく己の負のエネルギーとの決着が、戦闘シーンのみであっさり片づいてしまうのは問題だ。
 少なくとも装甲車との戦いよりも、こちらの場面を強調してやっておかないのはマイナスだったと思う。
 なんだか不満ばかりだ(笑)。

*香織*
 空手でしか存在感をアピール出来ず、弥沙子に泣き所をもっていかれたりとか、いまいち相応の扱いがされていない不遇のメインヒロイン。
 ラストで行方をくらました惣太に置いてけぼりをくらう描写ばかりが、印象に残ってしまう。
 要するに、彼女が「つんぼ桟敷(笑)」にされている理由は、大切な幼なじみを巻き込みたくない惣太の優しさに他ならない。
 それは惣太がリァノーンの服を調達する為に、香織ではなく弥沙子に連絡を入れた点でも明らかだ。
 非日常に対する理解の有無が、危険に巻き込んでいい理由になる訳がないからだ。

*弥沙子*
 「脇ゲー(笑)」の異名をとるニトロ作品において、今回の名脇女優賞キャラ。いや、ヒロインのひとりなのだが。
 エンディングにおいて弥沙子の関る比重は非常に重く、特にリァノーンと香織ラストの感動は、全く異なる弥沙子の死から成り立っている。
 引っ込み思案で気弱なキャラは別段珍しくもないが、吸血鬼となり抑圧されていた負の思念が具現化した「ストリクス」の衝撃性は、メインヒロインである香織の役を食うまでの凄まじさだった。
 
*モーラ*
 第一印象からワシは、アインの冷徹さとドライの凶暴性を秘めた子供だと勝手に思い込んでいたので、理性の抑制がきき、これといって欠点の無いキャラだったのは新鮮な驚きだった。
 外見と相応の年齢ではない事は、モーラと出会った時に気付かされるのだが、実年齢が19歳というのは若過ぎて残念な気がした。
 密度の濃い人生を歩んできたのだろうが、重ねてきた時間が紡いでいく魅力というのも捨てがたいと思うので(外見が成長しないキャラならなおさら)。

 ラストの「吸血鬼と人間のハーフ」モーラと「ハンディキャップを背負った人間」惣太の、異なる時間の流れに生きるカップリングは痛々しさと物悲しさの象徴であったが、この破滅的な状況の中で救いを感じさせる結末は素晴らしいと思う。

*リァノーン*
 ラストに至るまでの経緯を帳消しにしてプレイヤーを感動させてしまうエンディングは、まさに虚淵節の真骨頂というべき職人芸だ。
 このシナリオが、後から追加される形で完成したと聞いた時は驚いた。
 むしろ、逆に弥沙子エンドが後づけのシナリオだと言われたら間違いなく信じてしまう所だ。

 総括になってしまうが、「ヴェドゴニア」は恋愛作品であるにも関らず、お互いを想う両者の「すれ違い」の描写がなかったために、一方通行的な片想いストーリーばかりになってしまっている傾向のようだ。リァノーンの場合は特にそれが顕著だった。

 作品のそもそもの発端はリァノーンの軽率から事をなす訳だが、主人公の憎悪の対象はあくまで彼女で無かった為に、プレイヤーが怒りをぶつけるべき存在を見いだせず、悶々とさせた点はよろしくない。

*フリッツ*
 良いキャラだ。
 終始、惣太と相容れぬ様は清々しいほど。
 彼のその態度も、価値観の全てをモーラに見いだしているからこそだ。

 吸血鬼となり惣太に立ちふさがる展開は、彼がイノヴェルチに拉致された段階で予想された事だが、決着の付け方がまずかった。
 ギーラッハとは違い、フリッツの力は意志ではなく、己の弱さから起因しているからだ。
 だからこそ、心臓に打ち込む杭はモーラではなく、己の手で行うべきであったと思う。
 モーラの呼びかけで自我を取り戻し、「駄目な兄ですまなかった」と自ら消え行く展開の方がモーラシナリオをより深いものにしたのではないか。

*ギーラッハ*
 作中で他人を罵ったり見下したりと、ステロタイプの実直武人であったが、リァノーン・弥沙子シナリオにてウピエルを不意打ちで仕留め、彼の人物像をより深いものとした。
 騎士とは主君に仕え、戦力足り得る事で生産に寄与する事もなく、地位と名声を手にする事ができる存在だからだ。
 騎士は軍人である。
 だから、間違った騎士道観からいえば、敵軍より優位な軍勢で勝負を挑むことは「数に頼む卑怯者」になるだろうし、また、正々堂々とした対決が義務づけられるのならば、勝敗は理由の正当性に関らず、常に実力の高い者のみが勝利を収める事になる。
 戦場においては、一般にいわれる騎士道はきれいごとに過ぎない。

 ギーラッハは、自分の居場所が無くなった事を理解していたに違いない。
 かつて信じた神にかわって信仰の対象となった、リァノーンすらも彼を必要としなくなった事を。

*ウピエル*
 惜しいキャラだ。
 ストリクス(弥沙子)に抱いている感情を明確に描かなかった為に、惣太との決着を求める彼の理由が希薄なものとなっている。
 これでは、単に玩具に毛がはえた程度のモノを失った逆恨みにしかなっていない。

 本質的にはギーラッハもウピエルも似通った人物であるように思う。
 己の快楽を追求し行動するウピエルと、主君の忠誠という名目で己の正当性を独断専行で昇華するギーラッハ。
 相容れないのは、お互いの実力を認めつつ相手の振る舞いから己の醜い姿を写し見ているからではないか。

*ナハツェーラー*
 拍子抜けキャラ・ナンバーワン。
 モーラの父親という設定が、より彼の存在をチープなものにした。
「人形使い」の異名が泣く。


(総評)
 とにかく、「演出」。「ヴェドゴニア」はこれに尽きるだろう。
 テロップののせられたオープニングは、「かっちょいい」の一言に尽きる(ワシはコミック雑誌展開は、「連載:○○社刊○○」のテロップを入れる為の既成事実を作りたかったからだろうと邪推している…笑)。

 ラストからスタッフロールにかけての流れはお見事というしかない。
 終わり良ければ総て良しといおうか、悪くいえば、言いくるめられているような錯覚に陥るような巧妙さである。 
 それだけアラの目立つ作品であるのは確かだ。

 戦闘シーンなんてストーリー進行における障害にしかなっていないし、見える所だけしか情報が与えられていない「完結された番組」であるがゆえに人物の内面等の考察等を踏み込んでやってみようという意欲も沸かない。
 正直な話、欠点をあげていったらきりが無い作品だ。だが、それを補って余りある「演出」という長所が「ヴェドゴニア」の魅力である。

 「ヴェドゴニア」という作品はの評価は、メーカーの誠意による所も大きい。
 今時、発売延期についてしっかりとフォローを考えるソフトハウスは、18禁ゲームでなくても珍しい。
 ワシはメーカー直販を予約していたのだが、発売一ヶ月前にメールにて延期の旨を連絡してきてくれた事に感動を覚えた。
 また、ソフトの不具合を改善する修正ファイルの対応も素晴らしい。
 誤字脱字や、辻褄が合わない場面を補正してくれるのだ。
 それだけにとどまらず、ゲームのシステム設定そのものにも手が入る行き届き具合だ。
 シナリオの大筋に手が入る事はないだろうが(入ったら困るよ…笑)、今後もユーザーの要望により不具合が改善されていく事だろう。

 作り手というものは、過去の作品をどんどん忘れて新しいものを作っていかねばいかねばならない。
 本来、自主規制さえすれば何をつくろうが自由なはずの18禁ゲーム業界の中あって、これだけ元気の良いメーカーは他に見ない。
 これからも次々に、己の創りたい作品をプロデュースしていってもらいたいものだ。

 …といいつつも、アナウンスされている次回作は、なにやらハラハラさせてくれますね。(^^;;;;;;;;;

(きっか)

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