ほかの意味に繋げられなかった
 
 以前鷹羽がレビューを書いた『campus 〜桜の舞う中で〜』では、不死の秘法によって400年間生き続けてきた彩女というキャラが登場する。
 このシナリオ中に、彩女を抱いた主人公隆景が、彼女が処女だったことを喜び、その後、2度目のHで彼女に再び処女膜があったことにショックを受けるという演出がある。
 つまり、隆景が抱いたとき、既に彩女が処女でなかった可能性が出たことに悩んだということだ。
 一応誤解を招かないように言っておくが、隆景が喜んだのは、400年間誰とも肉体関係を持たなかった彼女が自分を選んでくれたことに対してであって、「やった処女だぜ、ラッキー!」ではない。
 隆景は、彩女が以前に男と交際していたことがあるのを知っている(どの程度の付き合いだったかは知らない)から、余計に具体的な喜び(あいつには抱かれてないのに、自分には身体を許してくれた)だったのだ。
 
 彩女は、やはり処女膜が再生してしまうキャラなのだが、彼女の場合、肉体年齢が15〜16才くらい(見た目は18才程度か。戦国時代の人間なので、独身なのはこの辺が限界)で止まっており、肉体的に十分成熟しているから、“以前にも男がいた”可能性があるわけだ。
 結局のところ、隆景は『それでも、今彩女が愛しているのは自分だから』と納得し、彼女の過去への嫉妬を捨ててしまう。
 これによって、隆景の恋心に深みが生まれている。
 実生活でも、処女かどうかなんてはっきりしない場合が多い(処女であっても出血しない人とか、出血量が少ない人とかいるでしょ? 逆に2回目でも出血したり、処女膜再生という技もあるし)わけで、結局のところ、過去がどうとかより、今その娘が自分を愛しているってことの方が重要だろうし。
 
 モーラの場合、その境遇、外見ともに“過去に男がいた可能性はゼロ”だから、この辺の深みを添えられないのだな。
 だから、単に“永遠の処女”という部分ばかりが強調されてしまう。
 これは惜しかったね。
 ただ、モーラの場合は“肉体的に未成熟の状態で止まっている”ことが演出上重要だから、ほかにどうしようもなかったのだろう。
 “何でもできる証拠”の膨らみを欲しがったりするのはモーラのキャラクターとして重要な要素だからね。
 

灰は灰に、塵は塵に