仁村真雪/評価B

☆知佳の腹違いの姉・真雪は、漫画家と大学生という肩書きを兼ねている女性。
 草薙まゆ子というPNで多くの連載と単行本を抱え、人気作家としての地位を不動のものとしている。
 何気ない言葉のやりとりから、互いを意識し始める真雪と耕介。
 その想いがふと高まった時、二人は結ばれるのだが、真雪は意外にも…


 雰囲気は良いし、得に大きな問題点もない完成度の高いシナリオ。
 特に、漫画原稿執筆経験者には泣くに泣けない部分もあり、思わず共感してしまう事もしばしば(^_^;
 男っぽい仕草と妙におちついた姿勢の真雪が、主人公との行為の時にだけ見せる態度のギャップが嬉しく、最初のイメージに反して結構感情移入しやすい描き方が成されている。
 しかしまぁ、タカをくくっていたのだがこの人まで処女だってのは正直意外。
 いや、だから何だって訳じゃないけど…

 真雪編は、他のシナリオとの共通部分をうまく利用して派生しているもので、そのため前半ではあまり大きな抑揚がないという欠点を持っている。
 しかし、逆にいえばとらハ独特の“ラブラブ状態”の表現がその分秀逸であり、一見とっつきの悪そうな真雪という存在うまくときほぐしている。
 他のシナリオで感じるイメージを維持したままで、意外な側面をも表現するのはさりげに難しい。
 それを順当にクリアしている所に、このシナリオの完成度の高さがある。
 
 しかし、やはりというか後半部…特に第三章辺りに盛り上がりが集中してしまっているため、バランスの悪さも目立ってしまう。
 ほとんど学生といえない真雪が、どうしてこの寮に長期間住んでいるのか。
 なぜ知佳と一緒に住んでいるのか。
 実家と違う名字を名乗って生活しているのはなぜか。
 これまで彼女達姉妹を巡るいくつかの謎を、ここで一気に説明するというのも面白い話ではある。
 だがしかし、実は真雪はここには賃貸じゃなくて買い切りで住んでいた…という所に問題あり。
 それが、管理人である主人公に伝わっていないというのは、様々な問題を引き起こす事に繋がる。
 いくらオーナーである愛が納得しているからといって、その説明が成されていない場合、問題が発生した時に管理上様々な問題が出かねないのだ。
 この辺は、例のマスターキー問題と共に多くの疑問を含んでいる部分だろう。
 
 真雪編は、知佳編との共通要素を多く踏まえており、知佳の口から彼女達の過去を語らせるという手法を取っている場面もある。
 しかし、知佳の出生の秘密や実家での扱われ方、どうして真雪についていく気になったのかというくだりは、ここではなくて知佳編で語るべきものではないだろうか?
 これでは、知佳編で説明すべきポイントをあえて放棄し、真雪編に付加させたようにしか感じられない。
 些細な事だし、全体評価を変える程のものではないにしろ、ちょっと引っかかってしまう。
 もちろんこれらについても、キチンとシナリオの一部として活かしているところがさすがなのだが。

 もう一つの注目点は、知佳と真雪の喧嘩という、他では絶対見られない意外な展開が用意されている事か。
 しかもその一端に、きちんと海での出来事を絡めている所が偉い。
 アルバイトを巡っての二人のやりとりは、このゲーム世界観の中だけの常識に噛む部分が大きいのだが、真雪の言い方がホントに保護者しているのに注目したい。
 人を育てるにはあまりに中途半端な年齢だった真雪も、あれだけカッコイイ事を言って知佳を連れ出したのだから、これまで精一杯気合い入れて面倒を見てきただろう事が伺える。
 そういう気を張っている部分の描写が丁寧なため、知佳との和解後の号泣シーンが映えるのだ。
 正直、ここは私の泣き所でもあった。
 
 主人公との関係の親密化もさる事ながら、あらためて姉妹の絆を確認しあう様、そしてそれを巡る他の住人達との掛け合い、どれも非常にバランスが良い。
 個人的にはあまり攻略対象にしたくなかった彼女ではあったが、まあ話に感銘を受けたという事で。


 しかし、唯一どうしても気になって仕方ない所がある。
 以下は、評価に加えるべきかどうか悩んだ部分なのだが、あえて評価に加えさせてもらった。
 これがなければ、私的にこのシナリオはAの可能性もあった事を先に明記しておく。

 最後のHシーンの後、風呂の中での主人公と真雪の会話内容だ。
 人によって受け取め方が異なる事は百も承知だが、ここでの真雪の言い分は漫画家としての資質を疑いかねないレベルのものだ。
 彼女は絶対的なハッピーエンド派だという。これは別にいいだろう。
 しかし、悲劇的なエンディングを嫌う理由に首を傾げる。

 “他人の不幸と自分の幸福を比べて喜ぶなんて嫌い”
 “同情する事で喜ぶ事は嫌だ”


 ほぉ、なるほど。
 それって全然違うんだけどね。
 悲劇とか別れとか、悲しい結末が好きな人達が求めているのは、そんな陳腐な説得力じゃない筈なのだが。
 それにこれって、仮にも様々なバリエーションの物語を作り上げる立場の人間が安易にほざいて良い言葉なのかな?

 ましてこの言葉、私には真雪の口を借りたシナリオライターの言葉としか受け取れない。
 ヘタしたら言いがかりになりかねない意見なのだが、これまでやって来たシナリオをすべて統合して考えてみると、かなり無理矢理ハッピーエンドに持って行く展開が目立つ
 ハッピーエンドはそれで充分な魅力だが、それは必然をねじ曲げてまで設定して良いものではないのだ。
 ごく自然ななりゆきの結果の悲劇すら、真雪=シナリオライターは許せないという事なのか?
 真雪の言葉に対して、主人公が一切異を唱えていないのだから、これはほぼ間違いない主張なのだろう。

 ちょっとだけ気どった言い方をするならば、「別れ」「悲しみ」「悲哀」といった要素は、すなわち“苦味”に相当するものだ。
 “苦味”それ単体ではあまりよろしくないものではあるが、何かと掛け合わせた時の味わいの広がりについては、ここで説明する必要もないだろう。
 世の中、そういった“苦味”を楽しむ人達も多く、また嗜好もある。
 子供の頃は単なる“イヤな味”に過ぎなかったこの味が、大人になってやめられないものになりうるには、その人にとって“経験”というものが必要になる。
 良さがわかるための経験という事だ。“人生経験”という便利な言葉だってある。
 当然、そうでなければ“良さの一端を知るほどにも経験が達していない” と言い切られても仕方ない。
 感覚が未熟だという事なのだ。
 この「悲劇否定」というテイストは、まさしくそれ以外の何物でもない。
 
 あまりこのゲーム評論部では出さないようにしていた例えだが、あえて「必殺シリーズ」から例を出そう
 マニアの間では超絶有名なエピソード、『新・必殺仕置人』最終回「解散無用」
 必殺シリーズは、ご存じ“仕事人”等を名乗る殺し屋が活躍する物語だ。金を貰って悪人を殺す職業である。
 しかし初期のシリーズでは「たとえ弱者救済でも、頼まれた事でも、人を殺している事には変わりない。そんな連中が人並みの幸せを掴んだり、人並みの死に様を迎えられる筈がない」という考え方が生きていた。
 新仕置人最終回では、レギュラーの仕置人の巳代松は拷問の末に植物人間となり、念仏の鉄は利き腕を焼かれた上に相手と差し違え、最期は好きだった遊郭の一室で遊女を傍らに置いたままこと切れる。
 主役格の三人のうち、二人までがこの結果だ。
 ましてや生き残った中村主水にしても、仲間の最期をまざまざと見せつけられる結果となった。
 彼らは正義の味方ではなかった。自身に勧善懲悪を求めてもいなかった。
 いつ結末が訪れるやもわからぬ状況に長年甘んじ、それがたまたまこの時に訪れただけだったのだ。
 これはたしかに悲劇中の悲劇だが、単純な同情を誘うためだけの演出でも、幸福感と比較させるための演出でも決してない。
 またプロデューサーは、作品から姿を消していくキャラクター達のイメージを視聴者に印象づけるため、あえてそのキャラを殺すという演出を考えついた。
 「好きだから殺す。好かれているから殺す」
 これはプロデューサー・山内久司氏の名言だ。しかし、これを言葉そのままで受け取ってはいけないのだ。
 同作品の念仏の鉄は、前作からの再登場キャラで人気もすこぶる高かったのだが、死で最期を飾った。
 結果、彼の結末はファンの間で伝説となり、25年以上経った現在でもすたれる事はない。
 これはそのキャラクターを永遠化させる最良の、かつ最大に難しい手法なのだ。
 もちろんこれを間違って解釈し、とかく登場キャラを殺しまくる作品もない訳ではないが、人気度合いを理解し、計算されつくした結果の“死”の演出は、悲劇であってなお悲劇を越えるのだ。
 それがわからないのに、悲劇を否定して欲しくはない。
 人の好きずきにまで口は出さないが、クリエイターが口にするのは恥ずべき内容だ。
 ましてや真雪は、自分の作品中でも人気の高いキャラクターを殺そうとする
 主人公が頼んでも、ずっと前から考えていた構想だと突っぱねる。
 これを考えた時の、真雪の思考は一体どうなっていたのだ? 悲劇の有効利用法を知っているのだろう?
 それなのにその材料をラストには生かせないというのであれば、所詮それは三流の作家に過ぎないという事になる。
 
 十六夜や、前作の七瀬のエンディングは、綺麗かつ深い感慨を残したまま終わらせられる物語であった。
 しかし、いずれもいまいち歯切れが悪かった。
 少しでも上記の様な事への理解があったとしたら、これらはさらなる完成度に昇華できたのではなかろうか?
 これが、私の最後に導き出した感想だ。     
  
はて、誰の真似だろう?