意識回復も見込めないまま、眠り続ける患者の脇にいる事の重圧感:

 私事で恐縮だが、「続々・九拾八式」発行直前くらいに、私は父親を亡くしている。
 死因は脳梗塞だったが、倒れてから手術を受け死に至るまで、ついに一度も意識が戻る事はなかった。
 それでも眠り続ける父の脇に座り日々看病している時の、虚無にも通ずる言いようのない悲壮感と絶望感は、それまでの自分が体験してきたすべてのものに勝る程の重圧だった。
 集中治療室に入った瞬間に感じられた、凄まじい程の緊迫感に、思わず後ずさりしたのも覚えている。
 
 結局、病院とはそういう一面も持っている場所なのだ。
 闘病する人々の思いと、その親族の哀しみの観念が渦巻いて、それを知らない人間を弾き飛ばしてしまいそうになる程の、ブ厚い壁が作り出される程なのだ。
 
 なぜこんな事を書くかというと、本作はある程度、そういう面にも触れようとした傾向が見えるからだ。
 シナリオライターさんがこういう経験をされているかどうかは定かではないが、もしもこういう部分も表現しきる事が出来たなら、それはまた素晴らしいものになっただろう。
 それが、少しだけ残念に感じたという事。
 
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