痕 〜きずあと〜 (リニューアル版)
 Leafを不動の地位に押し上げたDOSゲーム伝説の名作がリニューアルして登場!
 今明かされる衝撃の新設定!

1.メーカー名:Leaf
2.ジャンル:サウンドノベルタイプADV
3.ストーリー完成度:B
4.H度:B
5.オススメ度:A−(ウインドウズ移植版を持っているならD)
6.攻略難易度:C
7.その他:DOS版の方が良かったなぁ…。
 
(ストーリー)
 主人公:柏木耕一は、20才の大学生。
 8年前に伯父夫婦が死んで以来、父賢治は伯父の家で鶴来屋を切り盛りし、耕一と母は2人暮らしとなり、その母も2年前に死んだ。
 そして、先月父が事故死したが、耕一は父に対するわだかまりから、冷めた目で受け止めていた。
 従姉の千鶴の願いで、夏休みのうちの1週間を父の遺骨の側で過ごすことになった耕一だったが、柏木本家に来て以来、毎晩妙な夢を見るようになってしまった。
 心の中から語りかけてくるどす黒い衝動…殺戮を求める何かと戦う夢だ。
 そんなある日、突然気分が悪くなった耕一は、自分が怪物になって人を襲っている夢を見た…。


 DOSゲームの名作『痕』のリニューアルバージョンは、その性質上、元と全く同じというわけにはいかないし、かといってあまり変えるわけにもいかないというジレンマを背負っている。
 既にウィンドウズ移植版が発売されて久しいが、あっちはDOS版をウインドウズ上で忠実に再現したものであり、BGMがCD演奏になった以外は特段手を入れていなかった。
 以降は、この移植版も含めて『DOS版』と呼ぶことにする。

 対して今回のリニューアルは、時代の流れや細かな問題点、演出上の矛盾点などを修正したバージョンだと考えればいいのだろう。
 ただしDOS版があまりにも有名なこともあって、おおよその話の流れを知っている人がプレイするという前提に立ち、細かい描写が色々と変わっている。
 
 例えば、朝の会話の段階で、千鶴が料理好きで自分の料理を人に食べさせるのが好き、しかもかなり「やばい」料理を作るという設定が登場する。
 言うまでもなく、DOS版のおまけシナリオ『柏木家の食卓』を知っている人向けのネタだ。
 そして、この料理の評価で耕一が「やばい」という言い方をしているということが、時代の流れというものを垣間見せているように思う。
 ほかにも、かおりが「萌え!」というセリフを言っているが、これもまたDOS版当時にはなかった言葉であり、時代の流れを象徴している。
 
 良くも悪くも、今回のリニューアルで一番得をしたのは千鶴だろう。
 DOS版では、そのおっとりした外見と思い込みの激しさ、優しさを前面に押し出し、その反面、おまけシナリオでの悪魔のような裏の顔を見せて人気を博した、このゲームの顔とも言えるキャラクターだ。
 DOS版では、“うら若き女性会長”という肩書きで華々しく登場しているが、今回は、“会長とは名ばかりで、実質は研修生扱い”であり、DOS版に登場する“柏木家に大恩ある社長”も登場せず、千鶴を支えてくれる人間は鶴来屋にはいない。
 千鶴が会長に就任した理由は、『柏木の名を持つ者がトップにいないとグループに内紛が起きるから看板として掲げるため』であることがはっきり語られるなど、千鶴を巡る状況はかなり悪化している。
 これらは、千鶴の置かれた状況が針のむしろであるということを強調して、実は全キャラクター中一番苦しい立場にいる千鶴のスタンスを示していると言える。
 
 もちろん、変わったのは千鶴だけではない。
 朝、梓を送っていくときに楓の話をすると、楓が中2のころに傷害事件を起こしていた話を聞ける。
 不良に『告られた(この言葉も当時はなかった)』楓がそれを断り、怒って襲い掛かった不良6人を素手で病院送りにしてしまったという事件だ。
 これもまた、楓がエルクゥの血を引いているということをプレイヤーが知っていることが前提になっている。
 その上で、事情を知らない耕一の目を通して描き、DOS版では描かれていない楓も持っている鬼の力をちらつかせることで、プレイヤーに今後の展開に期待感を抱かせている。
 結果的に、このネタは楓シナリオには全く反映されない(なにしろ、梓を送っていくと楓シナリオには行けないのだ)が、楓もまた鬼の力を持っていること、しかも自分の身を守るために平然と力を振るえる“エルクゥ的な精神”をも併せ持つことを印象づけている。
 梓は、この事件以来楓が怖くなったと言っていたが、それは、忌むべき鬼の力を、手加減したとはいえ普通の人間に向かって躊躇なく振るえるという楓の精神面が怖かったのだろう。
 このほかにも、DOS版では小出由美子が最初に口にした『雨月山の鬼伝説』が相田響子の口から出ているなど、細かな変化は枚挙に暇がない。
 これらは、一応の流れを知っている人間がプレイする蓋然性が高いことを考慮していると考えていい。
 
 本編に関係あるところについて見てみよう。
 千鶴・梓シナリオで一番変わったのは、耕一が最初に狩猟者の殺戮を目撃した際、梓の部屋で意識を失うのではなく、気分が悪くなって外に出たまま意識を失い、気が付くと裏山に続く林道にいたという部分だ。
 当然、殺戮は耕一が意識不明の間の出来事であり、柏木家で寝込んでいた耕一が外出して誰も気付かないとは考えにくいわけだが、その辺へのフォローと思われる。
 あれくらいの距離(徒歩15分ほど)だと、フラフラと夢遊病者のように歩いていくことも可能だろうし、意識のないときに歩いたという動かしがたい現実があるわけで、耕一が受けるショックはDOS版より大きい。
 
 もう1つの大きな変化は、最初から全員が耕一の鬼の覚醒を恐れていることを描写していることだろう。
 楓に嫌いなのかと問い詰めると「私たちは……近づかない方が……いいんです」と言うし、梓シナリオでも、柏木家の力について、梓が「みんなとの約束だから話せない」と言っている。
 また、話をすると耕一が記憶を取り戻す恐れがあるから、彼が幼い頃に鬼を目覚めさせた事件については、柏木家ではタブーにされていることが、千鶴シナリオの終盤で千鶴の口から語られてもいる。
 今回はこれを徹底させたため、梓の「あたしの大切な思い出だったんだぞー!」のイベントはカットされた。
 その代わり、梓の口からは“耕一は足の怪我の話をすると頭痛を訴え、後でその話をしたこと自体忘れてしまう”ということが語られる。
 なんでも、話すと頭痛を起こす耕一を『孫悟空』と面白がってからかっていた梓は、やりすぎて耕一が本当に高熱を出して寝込んだことにショックを受け、以後その話をしないようにしているのだそうだ。
 あさ、梓を送りながらそんな話をして別れた直後、耕一は本当に「あれ、俺、いま梓となんの話をしてたんだっけ?」と忘れてしまうのだ。
 これは、千鶴シナリオのクライマックスへの大きな伏線になっている。
 言うまでもなく、記憶の復活が耕一の鬼の覚醒とリンクしているからだ。
 
 そういうわけで、基本的なシナリオ進行はほとんど変わっておらず細かい描写が変わっているだけなので、それぞれのシナリオの変更点を中心に何がどう変わったか見てみよう。


(千鶴シナリオ)
 耕一に全てを明かし、殺すために殺気を放った千鶴のくだりで、耕一が話を聞いているうちに、体内で何かが目覚めていくのを自覚する描写がある。
 そして、千鶴の殺気に耕一の中の鬼が目覚め、右手だけ鬼になって反撃してしまうのだ。
 だがそれは、犯人別人説を強硬に唱える耕一の言葉を一応考慮に入れた千鶴が、殺気を放って耕一を試しただけだった。
 耕一の反撃を受けたことで、千鶴は耕一の中の鬼が目覚めていることを確信する…という流れになっている。
 DOS版での“耕一をちっとも信用しない恐怖の思い込み女:千鶴”という部分をフォローするための変更であり、子供のころの半覚醒の話をすると、耕一の鬼が覚醒する恐れがあるという話は、この伏線として機能している。
 これは、リニューアル版の新機軸だ。
 だが、一方でこういうことをやりながら、ラストでは鬼を閉じ込めた檻云々の話が残っているので、妙にチグハグになった感が否めない。
 
 ちなみに、千鶴に殺されるエンドでは“自殺直前の賢治に、いざというときに耕一を殺すことを頼まれた千鶴が、耕一の子供を宿して柏木の血を残すことを誓う”シーンが追加されている。
 これもまた千鶴に深みを与える伏線的内容で、どうして千鶴が自ら耕一の命を絶つことに拘るのかという部分のバックボーンとなっている。
 これによって、千鶴が裸で耕一の部屋を訪れるシーンの裏に、耕一の子を宿すという目的があったことを明言したわけだ。
 あれほど柏木の血を忌み嫌いながら、それでも血を残そうとする千鶴の決意は、結局誰かが血を残さねばならないのなら、それは自分が果たそうという千鶴の妹たちへの優しさでもある。
 家系の存続というものに縛られながらも、あくまで妹たちのため、自分が責任を負うという形で、千鶴の背負ったものを描こうとしているわけだ。
 ただ、これもまた裏を返せば、妹たちが恋愛の結果、愛する人の子を産みたいと思ったらどうなるのか? という疑問を残すものだ。
 
 千鶴が柳川に殺されるエンドを見ると梓シナリオに行けるようになるが、大事なのはこのエンドであって、ハッピーエンドを見なくてもほかのシナリオに行けるというのはDOS版と同じだった。
 ただし、DOS版では、千鶴の死エンドを見れば、梓シナリオも楓シナリオも開いたのだが、今回は楓シナリオは梓シナリオの後でしか開かない。
 恐らく、どうせみんな先に梓シナリオをやってしまうから、ということで開き直ったのかもしれない。
 実際、DOS版のときに、鷹羽の周りで千鶴シナリオの次に楓シナリオをやった人間はいなかったし、開くことに気を止めた人もいなかった。
 ちなみに、ハッピーエンドのクリアは、おまけシナリオも含めて全部のシナリオを終了した後で十分だったりする。
 鷹羽は今回、敢えて千鶴ハッピーエンドを最後にクリアしてみた。
 
 
(梓シナリオ)
 千鶴が死ぬエンドを見ると発動するシナリオだ。
 貴之の部屋に行くまでの流れはほとんど変わっておらず、何件かコンビニを回っているうちに「ここに貴之って人、いますか?」では怪しまれるために「貴之、いますか?」という聞き方に変えた、という部分が変わっている程度だ。
 ただしハッピーエンドルートでは、柳川の口から『狩猟者には薬に対する耐性がある』ことが語られている。
 つまり、同じ量の薬を飲まされたのに、柳川は無事で貴之が壊れてしまったという柳川シナリオへの伏線と、大量の薬を飲んでしか自殺できなかった賢治達のことも示唆しているわけだ。
 そして、柳川は、耕一に大量の薬を飲ませることで、耕一の中の狩猟者を目覚めさせ、ひいては柏木4姉妹全員を狩猟者にして暴れさせようと思っている。
 また、柳川が耕一の目を通してかおり、響子を見付けて狙いを付けたということがこのシナリオで語られており、やはりプレイヤーが内容を知っているという前提に立っている。
 このシナリオでは、柳川に説教するのは主に耕一の役目になっているが、千鶴と楓しか知らないはずの両親の自殺の秘密を、どうして梓が知っているのかという疑問についてはフォローされなかった。
 
 主人公である耕一がクライマックスで全く活躍しないこと、梓の裏付けのない自信のせいでピンチに陥ることなど、DOS版では非常に割を食った感のある梓シナリオだが、それらの点は今回も全く変更されていない。
 DOS版のレビューのときにも書いたことだが、梓が“力だけなら千鶴にも負けない”ということは、裏を返せば“総合戦闘力では千鶴に及ばない”ということを意味している。
 つまり、敵が千鶴と同等の能力を持っていれば、梓に勝ち目はほとんどないということになる。
 耕一を刺激しないために柏木家の鬼の力のことを隠している都合上、梓が必要以上のことを耕一に語らないためにこういうことになっているのだし、柏木家以外に鬼の血を引く者はいないという梓の思い込みも、千鶴と同様の認識なのだが、やはりその辺りをちゃんとシナリオの中で語っておかないと、梓がバカ女ってことで終わってしまうと思う。
 結局、梓がやったことは、偉そうなことを言ったくせにあっさり柳川に負け、危うく自分も耕一も死にかけたという自業自得な話だ。
 もちろん、友人が被害者であるという前提を考えれば、梓の行動は理解できるのだが、つまりは耕一が止めるのを梓がことごとく聞き流しているということが問題なのだ。
 仮にも人間をサクサク切り裂き、熊か虎かと言われるような奴が相手だということを認識していながら、“鬼の類だったらどうしよう?”という疑問を欠片も抱かずに、自分の方が強いと決めてかかって、心配する耕一をないがしろにしたということが、鷹羽は許せない。
 だから、鷹羽はやっぱり梓が嫌いだ。シナリオ的にもキャラクター的にも。
 
 なお、DOS版では最も難易度が高かった梓シナリオだが、今回はバッドエンドを見ると梓からハッピーエンドに行く行動パターンを教えてもらえるようになっており、難易度が大きく下がった。
 
 
(楓シナリオ)
 今回のリニューアルで唯一DOS版より良くなったシナリオだと思う。
 DOS版では、賢治の死や千鶴達の両親の死の説明をさらっと流してしまったが、今回はかなり詳しく説明している。
 このシナリオをやっているからには、必ず千鶴シナリオでの説明は受けているはずだから、プレイヤーは当然それらの事実を知っている。
 だが、やはり単体のシナリオとして見たとき、耕一が父の死を受け入れるためには、ある程度の描写が必要だと悟ったということだろうか。
 ほかに変更点として、小出由美子が耕一とある程度親しいゼミ友達として登場している。
 DOS版では、彼女は単にゼミが同じだけという扱いだったが、一応いきなりお茶しても変じゃない程度の間柄にしたのだろう。
 また、1回目からハッピーエンドに行けるようになったのも大きな変化だ。
 バッドエンドの方を見ると、なぜかヒントコーナーに行ってしまうが、これはDOS版の名残だろう。
 
 なお、鷹羽はDOS版での楓シナリオの最大の問題点は、全てがエディフェルに対する次郎衛門の一目惚れに引きずられていることだと思っているが、その点は特に変更されていない。
 耕一が次郎衛門の、楓がエディフェルの生まれ変わりらしいことは、初音シナリオでも、このシナリオ中の初音との絡みでも明言されている。
 そうなると、耕一の楓への想いも、楓の耕一への恋心も、全てが次郎衛門に引きずられてのものということになる。
 かといって、“500年を隔ててようやく成就した恋”という部分がなければ、耕一も楓も、ある日突然夢のお告げで恋をしてしまった誇大妄想狂というそしりを免れまい。
 そして、夢の内容が嘘でない限り、2人の恋のスタート地点が次郎衛門とエディフェルの記憶であることは疑いようがない。
 500年前の記憶が全てではないとしても、やはりそれが最大のファクターであることは否定できないし、否定したら、このシナリオそのものが崩壊してしまうのだ。
 信じられないと言う人は、バッドエンドを思い出してほしい。
 耕一も思い出していないエディフェルと次郎衛門の約束を、耕一の中の鬼はうっすらと覚えている。
 その記憶は、耕一のものではあり得ない。
 だからこそ、エディフェルの「私があなたを愛したのは、あなたが私を愛したから」というセリフは、なんとかするべきだったのではないかと思う。
 せめてエディフェルの恋心が独自に発生したものなら、もう少し救いがあるものを。
 
 
(柳川シナリオ)
 楓シナリオクリア後に開く。
 ほとんど変化のない柳川シナリオの最大の変更点は、耕一の顔がグラフィックとしてちゃんと出ていることだろう。
 DOS版では、遂に耕一の顔は出ず、耕一の顔が初登場したのは、アミューズメントCD『初音のないしょ』に入っていた『Leaf Fight'97』の中だった。
 鷹羽的には、耕一が『柳川が由美子をさらって陵辱する姿を夢で見た』と明言している点が最大の変更点だと思う。
 前作でも、鷹羽は、夢を見たのは耕一だと解釈していたのだが、今ひとつ描写がはっきりしなかったために、九拾八式内部で、あれは楓が夢に見たのではないかという意見があったくらいだ。
 
 なお、このシナリオは楓シナリオとリンクしており、柳川がついに鬼の意識に負けてしまったのは、耕一が千鶴と戦った日、つまり、物語開始当日であり、耕一と楓が貴之の部屋に乗り込んでいるのは、物語開始の翌々日以降ということになる。
 なぜなら、耕一が由美子に会った当日は、耕一が覚醒の疲労と楓を救えなかったショックとで寝込み、エディフェルの最期の夢を見ているからだ。
 当然、由美子の夢などしゃしゃり出る幕はなく、陵辱の夢を見るのは翌日以降のことだ。
 梓シナリオが、かおりを襲った翌日に耕一達が乗り込んでいること、千鶴シナリオでは、かおりを襲った翌日に響子が襲われていることなどを考えあわせると、柳川が1日大人しくしていたのは、耕一が新しい女の子と会っていないからではないかと思われる。
 
 柳川がもう1人の自分を受け入れるシーンがはっきりと描かれていたのは、梓シナリオでの柳川のセリフが、どうも鬼のセリフと考えにくいことのフォローなのだろう。
 
 
(初音シナリオ)
 柳川シナリオクリア後に開くのはDOS版と一緒。
 DOS版に比べて、リネットと次郎衛門のエルクゥ退治のくだりが詳しく描かれるなど、ある程度補充されている。
 リネットが地球人と講和するために次郎衛門と内通して武器を譲り渡し、次郎衛門はその武器を使ってエルクゥ達を滅ぼす。
 そして、リネットは自分の軽率な行動が仲間を全滅させてしまったことに心を痛め、次郎衛門はそんなリネットを見て、彼女を利用した自分を悔いている。
 この描写は、あれほどエディフェルを愛していた次郎衛門がどうしてリネットと子をなしたのかという疑問に答えることができる。
 この点を高く評価したい。
 また、洞窟の入り口に2人を導いた疫病神のようなお守りが、2人を洞窟内で守っていたという役割の矛盾的な部分が、“お守りは依り代に過ぎない”というエクスキューズを与えられたことで解消されたことも大きい。
 
 一方で、このシナリオでは、柳川による事件は全く起こらないせいか、素の耕一のボケっぷりが遺憾なく発揮されていて、かなり腹が立つ。
 結局、耕一が洞窟に入らなければ問題は起きなかった。
 初音があれほどまでに嫌がっている中、わざわざ入っていったバカっぷりには梓シナリオでの梓に対するものと同種の怒りが抑えられない。
 
 なお、鷹羽は、初音シナリオだけでもDOS版と変えてほしいと切に願っていた。
 DOS版のときも書いたことなのだが、エルクゥの持つ兵器は、500年前に人間がエルクゥと対等以上に戦えたほどのレベルのものだ。
 たしかに、耕一が次郎衛門レベルの強さだとすれば、かなり強い敵とでも、素手同士1対1なら負けないだろう。
 だが、柳川クラスの力を持つ者が武器を持って3人くらいかかってきたら、耕一でも歯が立つまい。
 持久戦になればなおのことだ。
 柏木4姉妹では最強と思われる千鶴でさえ、戦い慣れしていない柳川とようやく互角以下でしかない。
 敵うわけがない。
 あんなラストは変えてほしかった。
 …と思ったら、実は次のシナリオのお陰でニュアンスが変わってしまった。
 でも、やっぱり鷹羽としては、このシナリオ中で決着を付けてほしかったなぁ。
 
 
(山神様シナリオ)
 初音シナリオ後に開く、新規シナリオだ。
 耕一が初めて柏木本家に遊びに来た小学5年生のころを舞台に、“山神様”ことヨークと耕一の交流を描くネタバレ物語になっている。
 ただし、DOS版当時から考えられていた裏設定ではなく、辻褄を合わせるために新規に考えられたネタと思われる。
 知っている人も多いと思うが、DOS版が発売された数か月後、オフィシャルの設定資料集のような本が発売された。
 その中には、千鶴はリズエルの、梓はアズエルの生まれ変わりだと書かれており、鷹羽を大いに失望させた。
 それは、千鶴や梓までエディフェル絡みにする必然性を感じなかったことと、シナリオ上ではそれらは全く用をなさないことからだった。
 このシナリオは、そういった面へのエクスキューズを与えるためのものだったようだ。
 
 巨大な生体宇宙船ヨークは、なんと非業の死を遂げたリズエル、アズエル、エディフェル、そして悲しみと後悔にまみれて生きた次郎衛門、リネットの5人の記憶を自分の記憶の中に保存し、それを柏木4姉妹と耕一にそれぞれ植え付けていたというのだ。
 その理由が“人数構成が一緒だったから”というのだからもう言葉もない。
 要するに、“どうして全員が同じ時代に輪廻するのか?”というご都合主義的な問題を、“輪廻ではなく、記憶を植え付けただけだ”と変えることで、無理なく全員が同じ時代に生きられるようにしただけのことだ。
 安直と言えば、こんなに安直な話もなかろう。
 しかも、ヨークがそうした理由は、彼らに幸せな人生を送ってほしいからだという。
 それってつまり、初音達の身体を借りて、リネット達に幸せになってほしいというヨークのエゴでしかないじゃん。
 一応、ヨークとしても耕一達を犠牲にしようという意図はなかったようで、耕一が覚醒し掛けたのを見て、記憶はある程度封印してくれたらしい。
 楓の場合、何らかの要因で封印が解けたということのようだ。
 つまり、楓シナリオでの耕一の突然の覚醒は、楓の意識の影響を受けて記憶の封印が解けた状態だったということだ。
 となると、楓シナリオの寸評では“全てが次郎衛門の一目惚れに引きずられている”と書いたが、もっとひどい話で、“全てが植え付けられた他人の記憶に引きずられている”ということになる。
 もちろん、植え付けられた記憶自体が次郎衛門に引きずられているという事実は変わらないから始末が悪い。
 
 もう1つ、大きな変化は、500年前のヨークの墜落は、出産で力を使い果たしたヨークが飛行能力を失った結果だったという新解釈がついたことだ。
 生まれた5体の生体宇宙船は、自力で飛行可能になるまで数百年に渡って衛星軌道上で成長を続けるという。
 つまり、初音シナリオのラストで降下してきた宇宙船団は、ヨークの子供だった可能性が高い。
 初音シナリオのラストが変わってくると書いたのは、そういう意味だ。
 ほかにも、エルクゥを遺伝子操作してあのような怪物に仕立てたのがヨークだったとか、幼い耕一が初めて鬼の力を目覚めさせたのが次郎衛門の記憶を受け継いだせいだったとか、邪魔なネタがいくつかついてくる。
 本来、こういったネタは、裏設定として最初から用意されているなら仕方ないものだが、先のオフィシャルブックを見る限り、DOS版発売直後に予定されていたのは、柏木4姉妹がエディフェル達4姉妹の転生という設定だったはず。
 ならば、後から辻褄合わせを強引にやっているだけの話でしかない。
 最初のアオリ文句で、『衝撃の新設定』と書いたのは、そういうことだ。
 普通はこういうとき、『衝撃の事実』となるものなんだが。
 
 一応褒めるべき部分を書いておくと、耕一が鬼の力を制御できたのは、次郎衛門の記憶のお陰というわけではないようだ。
 むしろ上記のとおり、その記憶のせいで耕一は覚醒しかけ、自力でそれを抑えたのだから。
 
 
(お約束劇場その1 柏木家の食卓)
 このお約束劇場は、山神様シナリオ同様、初音シナリオのクリアと共に開くので、どちらを先にやっても構わない。
 DOS版では、『アウターストーリーIN痕』と、この『柏木家の食卓』だった。
 今回の『柏木家の食卓』は、細かい文章以外、変わっていない。
 
(お約束劇場その2 柏木家の夜)
 これは、アミューズメントCD『さおりんといっしょ』に入っていたもので、内容はほぼ変わっていないようだ。

(お約束劇場その3 続・柏木家の食卓)
 おまけシナリオでは唯一の新ネタ。
 実は千鶴は料理の天才だったという腰を抜かしそうなオチが付いている。
 …ただし、鬼用の料理だ。
 鬼気迫る迫力で料理を作り、調味料のビンを粉砕していく千鶴や、鬼の力を解放し、テーブルの上の物を壊しながら料理をかっこむ3姉妹と耕一は、非常に笑えた。
 
(全滅エンド)
 千鶴シナリオから派生する純粋なバッドエンドで、DOS版と全く同じようだ。
 ほかのシナリオの発生に全く関与しないのもDOS版と一緒。
 
 
 総じて、正にリニューアルといった雰囲気で、シナリオ進行自体は、先が丸々分かってしまうだけに感動が薄い
 どちらかというと、「あ、ここの文章変わってる」というような楽しみ方をするべきものに思える。
 なんというか、異機種に移植されたしたゲームのようなもの(いや、一応PC-98からウインドウズへの移植なんだけど)で、全体像は変わらないままどうやって元作品のプレイヤーを唸らせるかという、およそ本編とは違う部分で勝負せざるを得なかったのだろう。
 辛い戦いを挑んだものだ。



(総評)
 歌入り声付きのゲームが主流の今、敢えて当時と同じ曲目だけで作ったという部分は評価するべきだろう。
 あれで歌付きのOPなど作られても、変にイメージが変わってしまうので困る。
 上でも書いたとおり、このリニューアル版は“全く同じに作るわけにはいかないが、さりとてあまり変えるわけにもいかない”というジレンマを抱えている。
 制作者側としては、それを細かい演出だけ変えて大筋を変えないという方向でクリアしていこうと思ったのだろう。
 ゲームを開始すると、DOS版同様、満月をバックに千鶴、梓、楓、初音の順で顔が出るわけだが、DOS版ではそれぞれの顔が1色で映っていたのが、普通の色使いになっている。
 鷹羽としては、DOS版の方が気分が出ていて好きだが、同じような構図になるよう努力した跡が分かるのは、比較していて面白かった。
 こうなると、画面一杯に出た、或いはメニュー画面の端っこにある「痕」の字のやまいだれの上についている点をクリックしてみたくなるのが人情というものだ。
 DOS版では、ここをクリックすると音楽モードに入れるという隠しポイントがあり、完クリすると、そのポイントを教えてくれるというシステムだったからだ。
 当然、リニューアル版では、そこをクリックしても何も起きないのだが、実は、初音シナリオが終了すると、DOS版の雰囲気が好きならそこをクリックするよう教えられる。
 何かといえば、要するに、今回は背景がカラーになっているのが、ここをクリックして始めると、背景がDOS版のようなセピア調に変わるだけのことだ。
 どうということはないネタだし、わざわざ単色背景にしても面白くはないのだが、この“やまいだれの点をクリック”という遊びを入れてくれたところに、「分かってるなぁ」と納得してしまう。

 おまけシナリオから『アウターストリーIN痕』が削られてしまったのは、その中の1つが盗作(柔らかく言うとパクリ)だったからだろう。
 実は、『できすぎ』(作:吉沢景介)という短編SF小説の文章ほぼそのままなのだ
 なんでも、かなり以前から盗作疑惑が囁かれていたそうだが、平成13年3月には、Leafがオフィシャルページで盗作をほぼ認める文章を掲載している。
 この『できすぎ』、講談社文庫の『ショートショートの広場(1)』という本に収録されているそうで、この本は昭和60年発行なのだが、多分発表はそれよりかなり早いと思われる。
 実際、鷹羽はラジオドラマ化されたものを聞いた覚えがあって、DOS版プレイ時に「元ネタは昔ラジオで聴いた奴だな」と懐かしく思ったものだ。
 鷹羽がラジオを熱心に聞いていたのは、56年前後の数年間に限られるので、多分その頃だったと思う。
 盗作じゃあ削らないわけにはいかないよな〜。
 
 さて、多くのユーザーの購入意欲に水を差したであろうキャラクターの顔だが、はっきり言って絵的には好きになれない。
 同じ人が描いてるのに、どうしてあんなに違う顔になったかなぁ?
 ただし、今回は画面の切替が早く、文字の後ろの背景画面が暗い関係で、実は顔があまりよく見えない。
 おまけに、イベントCGはDOS版と同じような構図のものばかりなので、いつの間にか頭の中にはDOS版のグラフィックが浮かんでしまっている。
 このため、プレイしていくうちに違和感を感じなくなっていくのだ。
 この魔力は、当然のことながらDOS版をやりこんだ人間にしか通じないのだが、基本的に、やりこんでない人は「顔が違う」とか言い出さないので、問題ないだろう。
 ただし、妙になで肩なキャラクターになっているせいか、千鶴シナリオ最大の泣かせ場所である父の面影のシーンで、父:賢治が非常に情けない姿になってしまった。
 あれだけは魔力も通じなかったなぁ。
 

 大分長くなったので、そろそろまとめよう。
 鷹羽の結論としては、今回のリニューアル版は、DOS版を超えられなかったと思う。
 大まかなストーリーラインは新シナリオ以外全て同じだし、変にいじって辻褄を合わせようとした分、却って間尺が合わなくなってしまった。
 ただ、いいものは何年か経ってやり直してもいいものなのだと再認識させてくれた点は評価に値するだろう。
 というわけで、鷹羽は、『痕はやったことがない』という方には、ウインドウズ移植版として発売された方をオススメしたい。
 ちなみに、現在は上記のおまけシナリオが削除されたバージョンで売られているそうな





(鷹羽飛鳥)


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