いつの頃の話なのか
本文でも記したが、このゲームは「いったいいつ頃の話なのか」が全然わからない。
ゲームに登場する地名や人名は事実とは無関係…という記述があるので、単純に「応化島=端島(軍艦島)」と結びつける訳にはいかないのは充分承知してはいるが、それでも“現代”とするにはちょっとばかり難しい。
その理由を羅列してみると…
1.携帯電話もしくは、それに関連する単語が一切登場していない
2.10年前まで、利益を出し続けていたものすごい人数規模の炭坑が存在しているという設定
3.デジカメ・PDAやモバイルなど、多用されそうな近代機器が一つも登場しない
4.閉山前の応化島の生活習慣描写(百鬼編)
まず1だが、これは当初から注意しつつチェックしていた。とうとうどこにも登場せず仕舞。
不思議なことに、登場人物の誰もが携帯電話を所持しておらず(あるいは持っているらしき表現をせず)、しかも、展開的に「携帯電話があれば打開できる可能性が高い」局面が多数あったにも関わらず、誰もが「携帯を使おう」という発想だにしない。
もちろん、応化島では衛星携帯以外使用できない状況なのかもしれないが、いずれにしても「無線機が故障」という報告を受けて、誰も「じゃあ携帯使えば?」という発想をしないのは奇妙だ。
2については、普通に考えても無理がある事に気付くだろう。
現在でも釧路など稼動中の炭坑もあるにはあるが、10年前に“利益を出せる規模の活動のある炭坑”というのが存在するというのはいささか疑問だ。
今ではもっぱら規模縮小や、限定用途のために行われる産業にシフトしている様子で、これはこの10年そこそこで大きく変わった流れではない。
3は、1に関連した話題だ。
今ではあって当然となった各種携帯端末が、一切登場しないというのも奇妙な話。
もちろん主人公をはじめとする参加者が持っている必然はないが、「それがある事で」どうなる…という会話や展開が皆無だという所にも注目したい。
このゲームに登場した通信関連機器は、なんと「故障した無線機」たった一つしかないのだ。
4は、百鬼編で語られている水原穣と若葉達の生活の様子などを指しているのだが、こんな生活習慣が10年前…1990年代に日本で行われていたはずがない。
そもそも、エレベーターが存在しない高層アパートというのが無茶なのだ。
端島の場合は、日本でもかなり初期の頃に建築されたという事もあり、エレベーターを使用するという概念がなかったらしき事に加え、増築や全体構造の都合から導入できなかった(らしい)という事情があるようだ。
事実、中央部がまるごと吹きぬけのようになっている構造のアパートなんかもあるので、なんとなくその辺の事情は察することができるだろう。
だが、もしも端島に今でも普通に人が生活し続けていたなら、この辺は必ず改善されていた筈だ。
高齢者対応が叫ばれる昨今に思いっきり反するものでもあるし。
また、端島の生活事情を知らない人にとっては、あれだけ大規模な高層アパート(よく考えたら団地ではないのだ)のどこにも“家庭風呂”がないというのにも疑問を抱きはしないか。
90年代になってもそんな不便な大規模共同生活が営める環境なんて、ちょっと考えづらい。
以上のことから、筆者は「実はこのゲームの舞台は80年代初頭なのではないか」という説を立てた。
もちろん「現代語」などが頻繁に登場するという問題はあるものの、江戸時代の某有名岡っ引きに「これはチャンスだ」としゃべらせたりする脚本もあるくらいだから、そういう差異については目をつぶっても支障はないだろう(笑)。
主人公の自宅にあるテレビのデザイン、また宏美が読んでいた「じょじょ(笑)」なる漫画の存在も気になる所だが、まあこういった細かい部分は“時代を確定する”要素としては力不足なのは事実だ。
ところが、この説を唱えるにあたって唯一疑問視したのが、大河内義昌が愛用している“スタンガン”の存在。
これがどういうものかは本編内で語られている情報で充分なのでここでは触れないが、問題は「その時代にこんなものが存在しえたか」という部分だ。
スタンガンというものが、護身具として認知されるようになったのは90年代に入ってからのことだが、実は70年代にはすでに存在しており、アメリカなどの警察では採用されていたらしい。
現在の形状とまったく同じスタンガンが当時存在したかは疑問だが、スタンガンが本編中に登場したもっとも古い時代が“8年前”で、しかもそれは「心のナイフ」という物語の中で語られているだけで、明確な形状や機能は記述されていない。
対して番外編で「恵美を責め立てている」物、そしてミステリー編で「宏美を責めている」ものにはちゃんと形状が示されている。
とりあえず具体的な製品事情については不明瞭だが、「80年代初頭に携帯スタンガンがある筈がない」という結論に結びつかない可能性はあるわけだ。
ううむ、そうなってくると、否定のしようがない。ホントにこのゲームの舞台は現代ではないのだろうか…?
「でも、これはフィクションでしょ? 現実の記録と結びつける必要ないじゃん」と言われるかもしれないが、それはまったく話が違う。
仮にも仮想現実を舞台としている作品である以上、ある程度は現実の世界に沿った背景設定が成されていなければならないのは常識だ。
「百鬼」がいくらフィクションかつファンタジーな作品であるとはいえ、我々の中で常識化している部分をも揺るがすことは出来ないのだ。
もしも“我々の世界とは異なる別な文明進行があり、炭坑もあれば携帯スタンガンもある”という設定なのだとしたら、そういう事をきちんと説明しなくてはならない筈だ。
そして同時に、そうする事でものすごくシラケた世界観になってしまう事も想像出来る。
最低限のリアリティすらもボケてしまうため、“いくらでもウソがつける”という本来の利点が、逆に問題点になってしまうのだ。
この他にも、「たった10年でここまで廃墟化するものか」という意見があると思う。
実際、参考にしているのは30年以上経過している廃墟群なので、“10年分の風化”を再現しろという方が酷だろう。
ただ先の解説でも触れたように、端島(および応化島)の場合は本土での常識は通用しない。
常時吹きつける潮風や、建築物をも乗り越えて降り注ぐ波、また台風の影響もあるため、通常の風化よりもさらに激しい劣化が発生する可能性は高い。
事実、端島で人がまだ生活していた時代も、これらは脅威であり対策せざるをえない問題であったのだ。
なので、この辺については筆者は言及するつもりは一切なかったりする。