軍艦島

 正式な名称は“長崎県西彼杵郡高島町 端島”。
 高さ約10メートルの岸壁に囲まれ、高層アパート群が立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているという事から、このあだ名が付いた。
 元々は単なる瀬の一つに過ぎなかったが、度重なる埋め立て拡張工事の結果、現在の大きさとなる。

 長崎港から南西へ約19キロの地点にある無人島だが、1810年(文化7年)に石炭が発見され、1890年(明治23年)に三菱が採炭経営を開始してから1974年(昭和49年)1月に閉山するまでの間、良質な石炭を生産し続けた。
 全盛期の60年代には当時の東京をも遥かに上回る人口密度を記録し(約9倍!)、外周たった1.2キロの小さな島に、なんと5000人規模の居住者がいた事がある。これは世界記録であるという説も有力だ。
 ただし、昭和39年に発生した坑内爆発事故の影響で、後に約3000人規模まで減少。それでも閉山時には2300人規模が残っていたというから驚きである。

 特徴の一つである高層アパート群は、1916年(大正5年)に日本で初めての鉄筋高層建築“30号アパート”を皮切りに次々に建築されていったもの。
 最大規模の“報国寮”こと65号棟(ゲーム中での18号棟)をはじめ、“日給社宅”(16〜20号棟)、宮ノ下社宅・中央社宅・土曜会社宅など多くの居住区が密接して建造されている。
 これらは現在知られている建築方式とは大きく異なるもので、木造と鉄筋建築の混合のものが多く、幾度にも渡る補強・改装工事が行われ、現在のようなスタイルになった。これらは大変複雑な工程があったようで、一言では説明しきれない。
 最大地上10階建てであるにも関わらずエレベーターが一切なかったり(設置準備としてシャフト増設までは行われた場所は有る)、島内の浴場はほとんどが共同だったり、アパートの中に釜戸や共同炊事場が設置されていたりと、当時の生活習慣が伺える特徴が数多く見られる。
(正確には昭和32年の海底水道完成を機に、各家庭には電気炊飯器や電気洗濯機なども普及し始め、その後これらの設備は物置同然に扱われていたらしいが)

 当時炭坑関係者は、その重労働の反面経済的に恵まれており、昭和30年代のカラーテレビの普及率も全国でも突出しており(実質的には比率1位だったという説あり)、その他最新の電器製品なども多く利用されていたという。
 娯楽が少なかった上に競争意識なども相まって、この辺りの環境はどんどん変化していったようだ。

 1941年(昭和16年)には、年間出炭最高記録41万1100トンを記録、1955年には高島町と合併。
 閉山から無人島に至るまでの時間的な経過は、ゲーム本編とだいたい符号している。

 高島町に統合された現在は事実上上陸禁止とされているが、実際にはいくつかイレギュラーな上陸手段がある。釣りのポイントとして利用されている事もあるらしい。
 島の周囲を巡る遊覧船が出航しているため、付近まで近付く事は出来るが、上陸方法そのものは自身で検索するしかない。
(当然、ここでも問い合わせには一切応じません)

 また、上陸した者達による破壊や汚染活動なども問題視されており、2001年の5月には上陸者によるボヤ騒動があり、本土から消火活動が行われた(ゲーム中でも、恐らくここのことではないかと思われる場所が登場している)。
 この騒動により、益々上陸が困難になりつつあるというのが実情のようだ。

 さて現在の廃墟の様子だが、どうやら(ゲーム中で表現されていた)台風のルート上にあるというのは本当の事らしく、他にも潮風や塩害などによって腐食・破損したケースが多かったようだ。
 所々に飛び散っている瓦礫や木材の破片も、こういった経緯で生まれたものが多く、自然倒壊によるものはあまりないらしい。
 詳細は不明だが、大きな倒壊はない。92年には一部補強工事が行われた。
 「端島銀座」と言う商店街、上から波しぶきが降ってくる「潮降り町」や「地獄段」(居住区中央部にある大きな階段)、島の東側に位置する幹部社員用の木造社宅群など、ゲームにはあまり登場しないものの特徴的な場所は他にもたくさん存在している。
 

 長崎県では、現在この島の一部を改修。遊歩道を作って一般人が訪問できる観光施設にしようという動きもあると言われているが、現実化するのか、またいつの話になるのかは、まったくわからない。
 また、この島を「世界遺産」にしようという運動もある。

 いずれにしても、この島にはかつて大勢の人々が生活した跡が克明に刻まれている。
 単なる不気味な廃墟として見るのではなく、そういった当時の(本来は我々若い世代の人間が知る由もない)“空気”を感じるために見て欲しいと思うのは、綺麗事だろうか…。

 筆者も真剣に、いつかはこの島を訪問してみたいと考えている。
 このゲームに影響されたからではなく、“忘れ去られようとしている時代の空気”を感じるために…


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