AIR


 あれから1000度目の夏を彩る、少女との出会いと過ぎ行く日々。
 そして、代々受け継いできた使命の終焉…。
1.メーカー名:Key
2.ジャンル:DREAM=マルチED恋愛ADV
SUMMER=デジコミ
AIR=一本道ADV
3.ストーリー完成度:B
4.H度:D
5.オススメ度:B
6.攻略難易度:C
7.その他:輪廻ものだと思わない方が楽しめる
 
(ストーリー)
 「この空の向こうには、翼を持った少女がいる。それは、ずっと昔から。そして、今この時も…。同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている」
 主人公:国崎往人(くにさき・ゆきと)は旅の人形使い。
 今は亡き母が残した目的『空にいる少女を探す』ため、“法術”で人形を操って大道芸をしながら旅をしていた。
 ある夏の日、所持金を使い果たした往人は、海辺の田舎町でバスを降りた。
 この町で路銀を稼いで旅を続けようとした往人だったが、どういうわけか大道芸がまったく受けなかった…。
 途方に暮れた往人は、神尾観鈴という妙に人なつこい少女の家に居候しながら金を稼ぐことになったが…。
 
 
 このゲーム(正確には観鈴シナリオ)は3部構成になっている。
 第1部「DREAM」で3人の少女全員とのトゥルーエンドを見ると、スタートメニューに、全ての始まりを描く第2部「SUMMER」が加わり、更にその終了後、解決編である第3部「AIR」が加わるという構造だ。
 
 「DREAM」では、一切の謎が説明されない。
 それぞれのシナリオで登場する重要な事項は、すべて謎のままなのだ。
 神社に祀られていた輝く羽根の正体も、みちるに力を与えた翼のある少女が誰なのかも。
 これらの物語のバックボーンを描くのが「SUMMER」の役割であり、そのために一切の選択肢が登場しないデジコミ形式になっている。
 そして「AIR」では、観鈴を見つめる第三者「そら」の目を通して、「DREAM」では描けなかった観鈴の物語を完結させる。
 この複雑な構造は、完全に確信犯だ。
 そして、この構造の複雑さこそが、この『AIR』というゲームの本質なのだ。
 
 そこでいつもと変えて、まずは観鈴シナリオだけに絞って、第2部「SUMMER」から、各シナリオの構成を順に考えてみよう。
 
(SUMMER)
 翼人:神奈備命(かんなびのみこと:神奈)の社の衛士に任ぜられた柳也(りゅうや)は、思っていたよりもずっと俗な神奈を見て、呆れると同時に妙に親近感を覚えていた。
 そして、神奈の身辺に不穏な影を感じた柳也は、神奈の腹心である裏葉と共に神奈を社から脱出させ、神奈の母がいると思われる高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)に向かう。
 そこでようやく母:八百比丘尼(やおびくに)と再会できた神奈だったが、それも束の間、翼人の力を巡る政争によって母を失い、神奈自身も呪詛で空に封じられてしまった。
 呪が風化して神奈の魂が輪廻の輪に入れるのは、早くて100年後。
 しかも、翼人である神奈の記憶は人の身体では受けきることができないため、人に転生しても大人になれずに死ぬしかないという。
 神奈に近しいが故に、その呪の影響を受けて弱っていく柳也は、裏葉との間に生まれた子が、いつか神奈に掛けられた呪を解いてくれることを祈ってその生涯を終えた。
 
 
 このゲームにおける謎の説明編だ。
 『DREAM』で観鈴が見た夢の内容は、神奈が経験したものばかりなので、これを読めばほとんどの謎が解ける。
 神奈の身体には、高野山で神奈自身に掛けられた呪と、八百比丘尼から記憶と共に受け継いだ呪の2つが掛かっている。
 この2つの呪をどう解釈するかが、観鈴シナリオを理解する上でのポイントとなる。
 
 とりあえずこの時点では、柳也と裏葉の子孫は“転生した神奈を捜し出し、八百比丘尼から受け継いだ呪を解く方法を考える”という使命を与えられている。
 
 
(DREAM)
 往人は、観鈴の見る夢の話を聞いているうちに、観鈴が『空にいる少女』ではないかと思い始める。
 そして、母の言葉の続きを思い出した。

 「女の子は夢を見るの。最初は空の夢。
 夢はだんだん、昔へと遡っていく。
 その夢が、女の子を蝕んでいくの。
 最初は、だんだん身体が動かなくなる。それから、あるはずのない痛みを感じるようになる。
 そして…女の子は、全てを忘れていく。いちばん大切な人のことさえ思い出せなくなる。
 そして最後の夢を見終わった朝…女の子は、死んでしまうの」
…その言葉のとおり、観鈴の足が動かなくなった。

 そして、やがて往人も背中に痛みを感じ始める。
 一旦は観鈴に別れを告げた往人だったが、観鈴の笑顔の側にいたいという想いが強く、戻ってきた。
 そして、もうダメかと思われた観鈴の具合が少し良くなった朝、往人の姿はどこにもなかった…。
 
 
 『空にいる少女』である観鈴の物語は、文句なしにこのゲームのメインシナリオだ。
 ここでは、代々人形に託されてきた往人の先祖達の力によって、往人の命と引き替えにほんの僅か観鈴の具合を良くしただけで、何も解決していない。
 どうして往人の一族にはあんな力があるのか、『空にいる少女』とは何なのかは一切語られず、とてもハッピーエンドとは思えない形で終わる。
 実際、鷹羽はもっといいエンディングがあると思って探してしまった。
 
 だが、この『DREAM』は往人の一人称だから、往人が自分の命を犠牲にした時点で終わらざるを得ないのだ。
 “観鈴の側にいたい”という往人の願いは、第3章の主人公「そら」に引き継がれる。
  
 
(AIR)
 観鈴に拾われたカラスの子供は、「そら」と名付けられた。
 空を飛ぶことに異様な恐怖を覚えるそらは、実は往人の魂を宿す存在だが、その記憶はない。
 やがて往人が消え、観鈴と晴子(観鈴の育ての親)の2人の生活が始まる。
 観鈴を養女に迎え、本当の親子になろうとする晴子だったが、やがて観鈴は晴子のことも忘れてしまい…。
  
 ゲームと同じタイトルを与えられた第3章は、2つのパートからなっている。
 前半は、往人の一人称だったDREAMに対し、傍観者たる「そら」の目を通して、往人のいないところで繰り広げられた観鈴の悲しみを描き、後半は、往人亡き後、晴子と観鈴が親子の絆を築いていく姿を描く。
 そして、最後にはとうとう神奈を封じていた呪の全てを解くことができるのだ。
 
  
(観鈴シナリオの謎について)
 観鈴シナリオは、1000年前から神奈を封じ続けている呪を解くということをテーマにしている。
 ただし、観鈴自身にしろ往人や晴子にしろ、呪を解くということ自体を意識してはいない。
 往人は母の言葉どおり、愛する『空にいる少女』観鈴を救おうとしているだけだ。
 そしてまた晴子も、失われた10年間を補って、観鈴との幸せな親子関係を築き上げたいだけなのだ。
 そして皮肉にも、観鈴を救うという使命を帯びているはずの往人の行動は、観鈴を僅かに長らえさせたに留まり、何も知らない晴子の行動が呪を解いている。
 
 この観鈴シナリオは大変に難解で、色々な解釈ができるような作りになっている。
 前述のとおり、「呪」というものの存在が大きく、これをどう解釈するかがポイントになる。
 
 そこで、鷹羽なりに解釈してみよう。
 
 あの夜、高野山で神奈自身に掛けられたのは“神奈の魂を封じる”呪であり、これは100年程でその力が消えて、神奈の魂は人間に転生することができるようになる。
 しかし翼人である神奈は、星の記憶を継ぐという役目の都合上、“誰かに託すまでは、翼人の膨大な記憶の全てを留め続ける”宿命を持つ。
 そのため、記憶を誰かに引き継ぐまで肉体が滅ぶことがない。
 神奈の魂は、肉体を持ったまま肉体を離れて、人間に転生する。
 そして、ある時突然に記憶の伝達が始まるのだ。
 転生した人間(今回は観鈴)には、神奈の記憶が蘇り始める。
 そして、まず神奈の苦しみを追体験し、神奈の記憶によって観鈴としての記憶を塗りつぶされ、精神をオーバーフローさせて死に至る。
 それと同時に、再び魂は神奈の身体に戻り、再度転生する時を待つのだ。
 
 こう考える根拠としては、AIR編のラストでも言っている「星の記憶は永遠に幸せでなければなりません」という一連の言葉が挙げられる。
 この言葉からすると、“星の記憶”を司る存在である翼人が幸せでなければ、その星は“幸せでない”ということになってしまう。
 そのため翼人は、その滅ぶ時まで幸せであり続けたいと願う。
 翼人の最後の1人が死ぬ時、記憶を空に返さなければならないが、その時には“幸せな記憶”を返さなければ、その星は滅んでしまうのだ。
 神奈の母:八百比丘尼が死ぬことすら出来なかったということが、それを表している。
 八百比丘尼が結界の中で、死ぬこともできないまま封じられ続けてきたのは、彼女自身が穢れた自分の記憶を空に返したくなかったからだ。
 自分が死んでも、すぐには結界の中から記憶が流れ出すことはないが、結界が崩れた時、一気に流れ出すだろう。
 その時は、星が滅んでしまう。
 だからこそ、八百比丘尼は死を選ぶことをしなかった。
 兵の矢に射抜かれた時は、母親として神奈に辛い思いをさせるくらいなら、星ごと滅ぶことを選ぼうとしたのかもしれない。
 或いは、娘との再会を幸せな思い出にするつもりだったのかも。
 結局、すぐに神奈が触れてしまったために、記憶は受け継がれてしまったのだが。
 
 一方神奈の身体には、あの夜神奈自身に掛けられた呪のほかに、八百比丘尼から受け継いだ“翼人と心を通わせた者を弱らせ、死に至らしめる”呪が掛かっている。
 この呪は長い時間を掛けた強力な呪であり、神奈の魂が転生を始めたとしても、この呪は残るのだ。
 この呪が残っているということは、呪の対称となった八百比丘尼の魂も神奈の中に生きているということになる。
 そして、記憶の伝達は“心を通わすことの出来る相手との出会い”から始まる。
 だから、神奈の魂を宿した人間は翼人の記憶を受け継ぎ始めると同時に、心を通わせるようになった相手を弱らせる。
 この時、神奈の悪夢として繰り返されている“柳也の背中の太刀傷”の位置に痛みを感じているのは、神奈の悪夢が“心を通わせた相手が背中を斬られて死ぬ”という内容だからだろう。
 ともかく転生を繰り返すうち、神奈の魂は、心を通わせるようになった相手を弱らせることを記憶したらしく、無意識に他人に近付かないようにリミッターを掛けている。
 観鈴の癇癪がそうだ。
 ところが柳也の子孫は、裏葉の血のために、神奈の転生を嗅ぎつけて近付いてしまう。
 そのため、代々神奈の転生体を救う手だてを見付けられないままに、彼女から離れて行かざるを得ないのだ。
 今回、観鈴を救えたのが晴子だったのは、晴子が観鈴と心を通わせたのが遅かったから、晴子に呪が及ばなかったということだったのだろう。
 
 また、ラストの『別れの時がきました』というのは、神奈の中で生きていた八百比丘尼の魂が、“星の記憶”を神奈に代わって空に返しに行ったのだと思う。
 神奈の魂を再度輪廻に入れるために。
 翼人という種族が消えるためには、“星の記憶”を空に返すという役目を果たさねばならず、その最後の記憶は幸せに満ちていなければならない。
 神奈にとっての幸せとは、
   母親と一緒に夏祭りで楽しむ
   暖かい家族を実感する
   大切な人と一緒に海に行く
という3つのことだ。

 これらは、神奈が逃避行の最中に憧れた行為だ。
 これらが全て叶えられた時、翼人という種族はその役目を終え、膨大な記憶を空に返すことになる。
 こうなって初めて、神奈の魂は普通の人間として転生することができるようになるのだ。
 
 こうして考えると、どう頑張っても往人には、観鈴を救うことは出来なかったのではないかと思われる。
 しかし観鈴以前の転生体達は、こんなことが出来なかったのだろうか?
 そこに、重大な意味がある。
 
 上記の3つは、観鈴自身にとっても夢だったことがらだ。
 この点で、観鈴と神奈には大きな共通項がある。
 だからこそ、観鈴の代をもって悲願が成就されたのだ。
 
  
(観鈴シナリオ総括)
 このシナリオは、さすがにかなり整合性の取れた作りになっている。
 『DREAM』で往人の、『AIR』で観鈴と晴子の心情を描いているため、各々が口に出している言葉と思っていることが違ったりしていて奥行きのある描写がなされている。
 晴子の旅行の話など、晴子の照れ隠しが往人に判っていないなど、無意味にならない程度の微妙なすれ違いを生んでいる。
 これが一歩間違うと、『晴子の言い方が悪い』という責任を取るべき者がいるすれ違いになってしまう。
 そして伏線の張り方も絶妙で、恐竜の子供の話やゲルルンジュース、砂浜で遊んでいる子供など、2度目に見ると意味合いが変わるという置き方をしている。
 ストーリー的には、好き嫌いはあっても悪くない作りだ。
 少々難解すぎるが。
 
 また、時代設定もなかなか凝っている。
 正歴5年というのは西暦994年であり、平安時代の中頃だし、花山法皇も実在した人物だ。
 キャラクターの気質が現代的なのは演出上のこととして置いておくとしても、当時の用語を使い、実際の出来事であったように描写することに努力している。
 時の為政者が、翼人の存在を宗教的な見地から抹殺しようとしているのもなかなか秀逸だ。
 
 また、『SUMMER』の舞台となった金剛峰寺(正しくは「金剛峯寺」と書く)は、実際に高野山真言宗の総本山だし、正歴5年(994年)に落雷による火災に遭って焼失している。
 そして、その約5年後である999年の夏に、柳也と裏葉の子供が産まれている。
 このゲームが謳っている『1000th SUMMER』とは、ここから数えて1000回目の夏という意味だ。
 
 しかし、時間軸が複数存在するというのは、やはり問題だったとしか言えない。
 『AIR』の冒頭もエンディングも、『DREAM』冒頭の“往人が埠頭で寝ている場面”と同じくらいの時間に位置する。
 しかも、そらは往人が消える遙か以前から観鈴の側にいるのだ。
 更に、『DREAM』では観鈴はカラスを飼っていない。
 ということは、パラレルワールドになってしまう。
 せめて『DREAM』でも観鈴がカラスを飼っていれば、時間的にズレがあることくらいは、どうにでも納得できる。
 そもそも往人がカラスに転生(或いは憑依)できたのは、裏葉から代々受け継がれてきた人形に宿った祖先の魂達の力によるものだから、時間的にズレを生じるような憑依でも納得できる。
 往人の願いは、“夏の始めからやり直すこと”だったのだから。
 『AIR』エンディングでの子供2人にしても、女の子が神奈であることは納得してみせよう。
 神奈が転生するに当たり、観鈴が最後に幸せでいた時間帯に存在しようとしたとしても判るからだ。
 男の子の方がそら(往人)だったとしても気にしない。
 だが『DREAM』では、観鈴はカラスに触りたいと考えているだけで、飼ってはいない。
 そらは、観鈴以外の人間にも認知されていたから、幻の類でもない。
 ここにどうしようもない矛盾がある。
 観鈴の死によって、晴子が変わったのは事実。
 であるならば、晴子と過ごした『AIR』の日々がパラレルワールドの出来事であって欲しくはない。
 とすると、そらの存在には目をつぶらざるを得ない。
 ご丁寧に、『AIR』エンディングの観鈴の側にもそらはいないのだから。
 
 ただ、そのことにさえ目をつぶれば、相当に出来がいい。
 観鈴の本当の母である郁子は晴子の姉であり、観鈴の父:橘敬介とは幼なじみであったらしい。
 それが色々な経緯で、敬介と郁子との間の子供を晴子が育てることになった。
 当時晴子は18才という、とんでもない状況だ。
 相当とんでもない経緯があったことは疑いようがない。
 晴子はそれを全て乗り越えて、観鈴と本当の親子になったのだ。
 晴子の成長物語としても、いい話だったと思う。
 
 シナリオ全体を見るとハッピーエンドとは言い難いが、それはそれでいいと思う。
 このシナリオの目的は、“観鈴を救うこと”ではなく“神奈の魂を救うこと”だから、観鈴は目的を果たした上で死んで、空の神奈に幸せな記憶を届けなければならないのだ。
 それが観鈴のゴールなのだから。
 神奈の夢を叶えるためのかりそめの命とも言える観鈴には、神奈の夢を叶えた後の人生はないのだ。
 
 人の生きる目的。
 ある役目を持って生まれてきた者は、役目を果たした時点で人生の目的を果たしてしまう。
 その後は、アイデンティティを喪失した余生の毎日だ。
 だが本来、人には持って生まれた役割などは存在しない。
 あるのは、その人その人が自分で見付け出す目標だ。
 だからこそ、目標が達成された時にも次の目標を掲げることができる。
 それこそが、無限の終わり。
 永遠に続く道の向こう。
 晴子は、観鈴を失った後、新たな生き甲斐を見付けた。
 それが生きるということ。
 それこそが幸せを生み出すもの。
 これは、往人の亡霊であるそらにも、神奈の影である観鈴にも出来なかったことだ。
 彼らは、それを学ぶために過酷な日々を送ってきたのだ。
 
 だからこそ、再び地上に降り立った神奈の魂と往人の魂は、人の姿をもって“無限の終わり”を探すために生きていく。
 辛かった日々は決して無駄ではなかったのだから。
 『彼らには、過酷な日々を。そして、ぼくらには始まりを』という最後の男の子の言葉には、その過酷な日々の積み重ねの上に今の自分があると認識していることが表れている。
 
 
 
(遠野美凪シナリオ)
 生まれる前に死んでしまった、美凪の妹「みちる」。
 その後両親は離婚し、母はトラウマのため、美凪をみちると呼ぶようになっていた。
 母の前で「みちる」を演じるうち、自分を見失ってしまった美凪の前に現れた、少女「みちる」。
 そして、みちるとの別れの時が迫ってきた。
 
 
 生まれてこれなかったみちるは、『空にいる少女』の羽根を1枚借り、その力でかりそめの命を得て、姉の心を救いにやってきた。
 みちるの前でだけ「美凪」でいられた少女は、幸せを繋ぐのはたった一言話しかける勇気だと知った。
 
 『空にいる少女』の翼には、人の想いが蓄えられている。
 楽しい思い出も辛い思い出も。
 少女は、それらの夢を蓄えながら、悪夢を見続けている。
 みちるが最後に往人に託した願いは、『空にいる少女』を見付け出し、“みちるは幸せだった”という、少女にとって救いとなるであろう一言を告げること。
 往人にとって、新たな目的のための旅が始まる。
 
 みちるが『空にいる少女』に伝えるのは、“暖かな家庭”の温もり。
 少女(神奈)が夢見た3つの憧れのうちの1つだ。
 みちるのシャボン玉がきっと伝えてくれるという予感を感じさせてくれる。
 まぁ、『空にいる少女』の転生体である観鈴が住む町から、少女を探しに旅立つ往人の先行きに不安を感じなくもないが。
 
 単体のシナリオとしては、ゲーム中最高の出来だと思う。
 バッドエンドである『夢と現』も、心に傷を残した美凪が新たな居場所を求める物語として完成されていて、単なるバッドエンドで終わっていない。
 こっちでしかHシーンがないのも好ポイントだ。
 
 ただ、エンディングでのみちるの登場はいただけなかった。
 父親が、再婚相手との娘に「みちる」と名付けるのは構わない。
 だが、容貌も口癖も何から何まであの「みちる」そっくりだったというのは、混乱を招くし、御都合的すぎる。
 好意的に解釈すれば、あの「みちる」が実体を持つに当たって、美凪が生涯会わないだろう本物のみちるの姿を借りた、ということにするしかない。
 
  
(霧島佳乃シナリオ)
 往人が知り合った、人なつこい少女・佳乃。
 往人は、佳乃の家に住み込みで働くようになる。
 佳乃は昔、神社の御神体である“光り輝く羽根”に触れて以来、時々他の人格が表れるようになってしまったという。
 ある日、別の人格になって往人を襲った佳乃は、自分の行為に恐怖し、自ら命を絶とうとする。
 佳乃の呪縛を解くため、往人は佳乃を御神体の所へ連れていく。
 
 
 このシナリオでは、神社にあった御神体が、はるか昔に白穂という女が拾った翼人の羽根であるらしいことが描かれている。
 
 佳乃に取り憑いてしまったのは、御神体の羽根に留められていた白穂の想い。
 愛する息子八雲を殺さねばならない状況に追い込まれ、八雲の命と引き替えに自らの命を投げ出した哀れな女。
 母と共にいたいと思っていた佳乃の心が、息子を思う白穂の想いと引き合ってしまったのだ。
 
 羽根の力と往人の法術の力と引き替えに、佳乃は夢の中で母と再会し、母と暮らすより往人と共に生きることを選んだ。
 そしてまた往人も、旅の目的が佳乃と出会うことだったと考え、共に生きることを選んだ。
 最後に空に飛ばしてしまった風船は、一瞬にせよ“母と夏祭りで遊んだ”佳乃の想いを『空にいる少女』に伝えてくれるだろう。
 
 ライターはかなりのトクサツ好きらしく、「地球が地球が大ピンチ」とか、カメが足を引っ込めてクルクル回りながら空を飛ぶとか、色々なネタがあって楽しい。
 また、往人は「見えない誰かの意思によって、この町に留められているのではないか?」という不安を感じているが、正にそのとおり、血が引き合って、観鈴のいる町から離れられないのだ。
 
 攻略上Hシーンが必要な、唯一のキャラ。
 ただ“大人になったら外す”バンダナは、Hの最中は外していたにもかかわらず、その後また巻いていたのが納得いかない。
 一度外したんだから、そのままでいいじゃん? 
 
 それと、このシナリオ単体ではともかく、全体として見た場合重大な欠点があるので、鷹羽の評価は限りなく低い。
 
 
 
(美凪、佳乃シナリオ総括)
 この2つのシナリオは、観鈴とは違うライターが書いたそうだ。
 2人が『DREAM』だけの登場で、『AIR』には顔見せ程度にしか出てこないのもそのためだろう。
 そのせいか、設定や話運び等に不一致が多く見られる。
 
 例えば、美凪のシナリオでは『空にいる少女』が、死んだ人間の魂が漂う空で夢を見続けていることが描かれているが、神奈の身体は、当然何らかの結界の中におり、たとえ死者の魂と言えども他者と接触できるような存在とは思えない。
 ましてや、羽に人々の思いなんか詰まっていなかったような気がする。
 
 もっと許せないのが、佳乃のシナリオだ。
 白穂が言っていた戦は、どう聞いても元寇のことだ。
 となると、翼人が嵐を起こして元軍の船を沈めた際に、抜け落ちた羽根を拾ったものと思われる。
 確かに、翼人が風を起こして攻撃するのは『SUMMER』でもやっていたことだが、これがこのシナリオの問題点なのだ。
 
 前述のとおり、『SUMMER』は994年の出来事だ。
 だが、元寇の1回目『文永の役』は、鎌倉時代1274年の出来事だ。
 神奈が封じられてから300年近く未来の話なのだ。
 封印されている神奈ができることではないし、神奈が最後の翼人だというのはこのゲームの大前提だから、元軍の船を沈められるような翼人はいない。
 そもそも、翼人の存在自体が歴史から抹消されてしまっているのだ。
 だから、翼人の羽根が空を舞うことも、ましてやその羽根を「穢れている」と言う役人もいるはずはないのだ。
 これを言い繕うのは大変だぞ。
 
 シナリオライター同士の連携が上手くいってなかった見本みたいなものだね。
 だけど、今回はかなり派手に矛盾してるからなぁ。
 デバッグの段階で気付かないもんかねぇ?
 
 
 
(総評)
 パーツごとの出来はいいのに完成すると変という、結構困った作品だ。
 特に美凪と佳乃シナリオは、むしろ作らなかった方が良かったんじゃないだろうか。
 はっきり言って、メインのテーマから離れている。
 いや、正確に言うと“家庭的に不幸だった少女が、幸せな家庭を手に入れる”というテーマ自体は共有しているのだが、前記のとおり設定が徹底されてないため、逆に全体の足を引っ張っているのだ。
 これなら、ない方がいい。
 
 1つ1つのシーンはかなりの出来だし、感動の雨嵐と言ってもいいくらいだ。
 だが、それだけでは薄っぺらいからと裏付けを必死に描写している。
 それが翼人という設定だ。
 ただ、その情報量の異常なまでの多さに、作り手自身が振り回されている。
 未消化の設定を残すことは、むしろ素直な感動を阻害する結果になっているようにも感じるのだ。
 
 鷹羽は当初、観鈴・美凪・佳乃の3人にそれぞれ海・家族・夏祭りの思い出を揃えさせて、最後にそれを何らかの方法でまとめ上げて、神奈を解放するものだと思っていた。
 ところが、全て観鈴に詰め込み、美凪達は寄り道の結果になってしまった。
 なまじ美凪のシナリオの出来がいいだけに、余計に悲しい。
 確かに往人の母は、往人を縛らないために「忘れてしまってもいい」と言っている。
 しかし、それはやはり裏葉や柳也の想いを潰えさせてしまうことなのだ。
 
 OPの「我が子よ」からの一連の言葉は、往人の母の言葉と思わせておいて、実は翼人の親から子への語りだ。
 それ自体は、『KANON』のOPナレーションでもやっていたことだ。
 だが『KANON』では、あゆ以外の女の子の時には、あゆが人知れず消えていくという形を常に見せることで、悲劇の少女を演出していた。
 それがあゆの存在感を大きくしている一因でもあったわけだが、各ヒロインのシナリオにボリュームがあったため、必要以上にあゆがクローズアップされることはなかった。
 しかしこの『AIR』では、観鈴のシナリオが突出しているため、“真実を見ないまま安易に流れた”という感じになるのだ。
 確かに往人の母は、往人を先祖代々の目的から解放しようとしていた。
 その意味では、佳乃と結ばれるにせよ美凪と結ばれるにせよ、『空にいる少女』を永遠に探し続けるにせよ、問題ない。
 だが、一旦真実を知ったプレイヤーから見ると、往人の露骨な“逃げ”以外の何者でもない。
 
 以前『下級生』のティナの時にも書いたが、はっきりしたストーリーラインが1つある場合、それ以外のキャラとのエンディングが全てバッドエンドに見えてくるという弊害が生まれる。
 この『AIR』というゲームの場合も、徒にヒロインを増やすのではなく、観鈴1人に全ての力を注いで作った方が良い作品になったと思う。
 
 それと、世間では観鈴や美凪のシナリオがバッドエンドのルートでしかHしないため、18禁ゲームとしてのアイデンティティが問われているようだ。
 実際、コンシューマ移植を前提に作られているような感も受ける。
 しかし鷹羽は、この点については不問に付すことにする
 というのも、美凪の場合はハッピーエンドとバッドエンド(『夢と現』)では目指すものが違い、美凪が往人の伴侶としての居場所を求める『夢と現』でのみ、往人と結ばれなければならないからだ。
 また、裏葉とのHシーンは大人な会話があるし、社にいた時の夜這いの一件での裏葉の芝居を考えれば、やはりHシーンがないと描写が薄くなるから、必要だと思う。
 となれば、1人でもHシーンが必要なキャラがいる以上、やはり18禁にする意味はあると思う。
 これが移植されても、ちょいとつまらなくなるのさっ。
 
 もう1つ。
 やはり世間では、往人が柳也の転生だとか、晴子か美凪が裏葉の転生だとかいう意見がある。
 美凪についてはライターが違うから論外として、鷹羽は往人も晴子も違っていて欲しいと思う。
 転生ネタを扱っているからと言って、全員が転生している必要などない。
 某はっぱの鬼さん転生ゲームでも、4姉妹全員が転生だという裏設定を見てがっくり来た覚えがあるが、転生の周期が合うまで呪が解けなかったという考え方にはしたくない。
 
 もっと素直に楽しみたいと思うのは、贅沢だろうか?


(鷹羽飛鳥)

 

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